2002年版 帰省双六(急行能登編)

2001/12/30(日) 22:15 いろいろあったものの,ようやく切符を手に入れ上野に移動。急行能登の発車(23:54)まで2時間弱ながら、もう長蛇の列。皆さん万全の防寒対策で列車の入線(案内によると23:34)を待ち構えている。帰省シーズンとはいえ2時間前ということもあり、かなり列の頭の方に入ることができた。寝過ごす等よほどのことがない限り、着実に揺れの少ない席に座って爆睡できるでしょう。
イライラのたまった羽田とは対照的に、上野は静か。というか並んでいる人たちは暇つぶしに雑誌などを用意してきている模様。


さて、この中に羽田から移動してきた方はどのくらいいるのだろうか? 空港からやってきたと見える大きなかばんを持った人たちもたまに見かける。
2001/12/30(日) 23:15 急行能登の発車(23:54)まで約1時間。長蛇の列は1両につき約4倍の60人位にはなっているだろうか。
帰省組や富山行きが欠航した羽田から来たと見える方に加えて、都内で開かれたコミケ(と言う話)から帰る方も加わり、さらに列は伸びる。
隣のホームには寝台特急北陸(日本一旅程の短い寝台特急)が停まっているが、こちらも満席の模様。 
2001/12/30(日) 234:0 急行能登の発車(23:54)まであとわずか。長蛇の列はホームの端を折り返してこちらに戻ってきそうな勢い。さすがにここまでくると、長い列を見て引き返す方も出てきた。
そんな中へ能登号入線。アッという間に座席は埋まり、通路も埋まり、出入り口も埋まった。全員乗りきれるのか? 適当に増結,増発して指定席を増やすと儲かりそうな気がしてきた。
2001/12/30(日) 2354 急行能登、発車。既に寝息が聞こえる。寝息そのものは列車に乗り込んだ直後から聴こえていた。恐るべし。車内はかなりつまったが、酔っぱらいが少ない分かなり静か。
(注:この急行能登、金曜を中心に飲み会帰りの方が多数利用するためか、高崎まではかなり騒がしい。たまに痴話喧嘩もあるとかないとか)
さて、座席に目を向けると、緑茶やビールに加えてミルクティーをはじめとして紅茶を多く見掛ける。コーヒーは少ない・・・夜だし(?) コミケ帰りの方が好んで飲んでいるように見えるのは気のせいなのか、偏見なのか、はたまた統計的に正しかったりするのか。
心理学の研究家あたりが大真面目に調べているかもしれない?
2001/12/31(月) 00:20 急行能登、大宮に停車。降りる方が多いと思いきや、まだ乗りこんでくる。しかし車内は至って静か。聞こえるのは寝息とモーターの唸りがメイン。
私の記憶が確かならば、この後何駅かで車内の照明が落ちる。果たして静寂は保たれるのか? 消灯してからがお楽しみの時間なのかな? 若者にとっては。
2001/12/31(月) 01:05 籠原に一時停車。先行列車にて不審物が見付かり、臨時停車の上点検中とのこと。
今日はイベントが絶えないね? しかも今になって出てきたか白い粉。
2001/12/31(月) 01:30 高崎発車。ここまでは到って順調に走っている。先に上野を発車していた寝台特急北陸を籠原にて抜いてきた。特急より早い急行というのは何ともおもしろい。実際富山到着も「急行」能登が寝台「特急」北陸より早い。
ようやく車内照明が落ちた。そんな車内はまだ通路まで埋まっており、立ち組もかなりいる。立ったまま寝ている人もいる。恐るべし。
2001/12/31(月) 02:15 水上に停車。トンネルを過ぎる前から既に雪国だった。雪が深くなっていたので、とっくに国境のトンネルを過ぎていたのかと思っていた。湯檜曾を通過すると程なく新清水トンネルに入る。
2001/12/31(月) 02:30 新清水トンネルを通過。トンネルを抜けると、そこは奥深い雪国だった。微かに見える灯りは関越トンネル出入り口のものだろうか。
外はもうもうと吹雪いており、殆んど視界がない。しかしどこを走っているのかを知っておくと、視界がなくとも少しは旅の風情がわいてくることだろう。車内も雪原の如く沈黙が広がる。
ちなみに,(旧)清水トンネルは今でも現役だが,かの「国境のトンネルを抜けるとそこは・・・」のくだりの再現はまず無理。というのも(旧)清水トンネルは新潟→高崎方向への一方通行であり、新清水トンネルは高崎→新潟方向への一方通行となっているという仕掛け。
時折頭上から何かを削っているような音がしている。架線に張り付いた氷を削りながら走っているのだろうか。しばらく雪原を走ると、真っ暗な越後湯沢を順調に通過。いいかげんここまでくるとうとうと・・・となるはずだったのだが・・・・・・?(つづく)