2002年版 帰省双六(越後湯沢編)

2001/12/31(月) 03:35 少なくとも30分ほど前から位置の変化がない。ここは誰私はどこということで、ケータイで現在位置を探る。ケータイからの情報では越後川口付近にいるらしい。
近くには信号所などの施設らしき灯りもない。近くの明かりと言えば,川向こうあたりにある関越道のインターかサービスエリアとおぼしき緑の明かりくらいだ。車内の空調も止まっている。照明は2時間前より更に減っており、ついているのはおそらく非常灯のみ。電源はまだ生きているようだ。


そんな脇を上野行きの能登が通過した。外の雪は既に止んでいる。
しばらくして,車掌からはパンタグラフの故障との案内。架線に張り付いた氷で破損したのだろうか、時折閃光が走っている。
なお,現在位置は越後川口と小千谷の間らしい。ケータイの位置情報はそこそこ正確だった。
2001/12/31(月) 05:01 越後川口付近でまだ停車中。非常灯も消えた。窓が曇ってきた。蒸し暑いのか肌寒いのかよくわからない。
少し前までケータイで連絡を取り合う声もたまに聞こえたが、今はまた静寂に包まれている。この時間、通常ならば既に直江津を通過している頃だ。
2001/12/31(月) 06:50 越後川口付近でまだ停車中。送電自体を止めて復旧作業が続く。その後は電気機関車が引っ張って長岡まで行く予定だとか。故障が発生してから車掌が新潟の指令センターと連絡を取り合っているが、まだ取れていないらしい。年末の深夜となると,連絡を取るのも一苦労(??)
2001/12/31(月) 08:30 急行能登運行打ち切り決定。ディーゼル機関車に引っ張られて越後川口に戻り、隣の普通列車に移動。9両の急行列車の乗客を6両の普通列車に押し込んで出発。意外と入るもんだなぁ。
北陸方面到着はまだまだ先となりそうな予感。メールで連絡を取っていると,皆まだ新潟県内にいることが信じられない様子。
2001/12/31(月) 09:40 代替列車にて越後湯沢到着。途中駅には,急行能登車両故障の影響で身動きが取れなくなった列車が数本止まっていた。おかげで越後湯沢の在来線ホームは痛勤時間帯並の混雑で、身動き取れず。ということで改札の外へ出る。
(注:旅程201k以上の切符は、都内など一部を除き途中駅の出入りが自由)
食事の時間帯をすぎていたため、朝食の支給があった。
その中身は
・揚げパン3つ
・肉まん(冷めてる)
・アロエドリンク
ま、こんなもんでしょう。昼食・夕食にかかった場合は弁当とお茶が出るというという話を以前JR関係者(??)から聞いたことがある。
さて、駅の中をぶらついていると構内に地ビールレストランを発見。開いてからビールを試してみるとするべ。アンバーエールが気になる。てゆーか一息つきたい。
2001/12/31(月) 10:45 越後湯沢にて一息。北陸方面は荒天のため交通は大混乱。空路(昨日欠航で乗り損ね)、鉄路(急行能登車両故障の影響がまだ残る)に続き、高速も海上区間(名立谷浜-能生)がアウト。ここまできたら第3幕でも第4幕でもきやがれやてやんでい(謎)
越後湯沢駅もただでさへ帰省客でごった返しているところにダイヤ大混乱。一部お客が荒れている。
地ビールレストランが開いた。行ってみましょう。
帰る気あんのか > 自分
2001/12/31(月) 11:40 まだまだ越後湯沢。地ビールで一息ついたところでホームに降りる。まだまだ長蛇の列ができているが、そんなの気にしない。
ねらいは次の特急列車。約100分後(笑)。普通列車乗り継ぎで北陸方面へ行けないこともないけど。
2001/12/31(月) 13:20 じっくりと待ったかいがあって、自由席に座れた。こんどこそゆっくりできるでしょう?
まもなく烏山を出発してから丸一日が経とうとしている。今年は寝正月になるかな? はたまた車中で寝正月?? その場合はおせちが出るのかな(^_^;; 
2001/12/31(月) 16:00 JR富山駅到着 長かった。非常に長かった。丸一日私は何をしていたんだろう??
そこから別の列車に乗り換え,実家に着いたのは17:00のことであった。いつもの正月ならば日付が変わるまで起きているけど,さすがに今回は9時までもたなかった。毎年近所から聞こえてくる紅白演歌ショーの大音響もなんのそので爆睡・・・
これはもはや帰省とは言えん。ならば何だ?(おちまい)