夏の日の午後 -2003 style-

晴れた日の午後、窓を開けると涼しい風が吹き込んでくる。噎せる程吸い込むのもいいし、ただ当たっているだけというのもいい。
風に当たると涼しいのは、注射の前に腕にアルコールを塗ると冷んやりするのと原理は同じ…なんだけど、何だか心地いい。心まで爽やか…というのは気のせいかな。
潮風。沖縄では海が手の届くところにある。市街地を少し離れると、それとなく潮の香りが漂う。季節にも拠るが割と強めで、体ごとさらすと少し軽くなったような気もする。が、逆に煽られることもなきにしもあらず。


そんな潮風の中をゆくと、このままの勢いで空へ飛び立つのではという気もしてくるから不思議。着陸をどうするかという問題はあるが(空の筋では事故が起こりやすい離着陸前後の時間帯を魔の11分として特に警戒しているというのは余談)、どこかへ飛んでみたい。沖縄から一時でもいいから離れてみたいと感じるのは気のせいだろうか。
閑話休題、かつて聞いたような話だが、空を飛ぶ夢を見る人には「何か」から自由になりたいという願いが少なからずあるそうな。真偽の程は心理学の筋にて明らかになっていることだろう。
抜け出したいもの…闇に揺れる星の数程あり、枚挙に暇無し、といったところか。飛び出した後は後で別の問題があるのだが。
ものにもよるが走りはじめる前、および走り出した瞬間は、虹がかかって見えるというのは何処かで聞いたようなネタだったろうか。しかし覚めてみると三日麻疹の類だった、といったことが往々にしてある。様々な場面でそんなことがあった。
システムにしろ人間関係にしろ、構築後の運用次第でどうにでもなりそうなものは多い。しかし運用の手間を左右するのは間違いなく「出だし」であろう。
続けるとどうなるか。これを考慮するとなかなか先へ進めないが、後の暴走や過熱等各種トラブルを未然に防ぐには有効な視点かもしれない。最近、永遠の2文字に妙に過敏になっている影響は否めないが。普段はそれと気付かない癖して幸せなんて言葉があるから…
物理的な熱は、風をあてるとよく冷える。物理的でない熱も風に当たるとよく冷えるのだろうか。
海辺で日差しが傾く頃に遠くを見つめつつ潮風にあたりながら暫く考え事。沖縄に来て以来、そんな機会が増えた。何かの転換点にあるのか、様々な方面で熱が冷めてきている。このまま温度が下がり続けると、人として機能していけるか怪しい。人っつうやつは程々近くに感じていないと問題ありか。
しかし冷めてほしくない、いや冷ましたくない熱というのもあるのは確かだ。それを呼び覚ましてみようと、ついこの間の話になるが某所へ石を投げてみた。時を重ねても記憶の中の片隅にかのワガママ息子達はまだ残っているのか。
賭けますか?
Rec:1997-6-18 Mix:2003-4-19
注:今回のネタを”2003 style”と銘打っている所以だが、以前よく似たタイトルで書いたものの中身を一部織り込んだ、というお遊びである。素材となった文章が手元にあるのだが、改めて読み返すと若さ故に恥ずかしい。