2003年版 帰省双六(復路編)

財布の壁を乗り越えて何事も無かったかのようにみえた那覇発小松経由富山行きの帰省往路だが、時間の壁、記憶の壁が今回は単なる通過点だった小松の街において小さなイベントを用意していた。
復路は当然その逆をゆく。朝5時前の出発なのだが・・・・・
2003/01/02(木) 只今朝4:00 早朝から雪。除雪開始にゃまだ早い。通常は6時頃から除雪開始のため、路面には雪がつもる。くるぶしは軽く埋まり、車は走行できるかどうか不明。なんつうざまよ。それでも行くしかない。故あってこの日のうちに那覇へ戻らねばならぬ。


車庫前の除雪に手間取り、出発は4:50。余裕の有無は不明。
積雪状況は軽自動車で走行できる限度を少し上回っていたらしく、新雪の上を滑りながら、尻を振りながら進んでゆく。所々設けられている融雪装置は作動していたが、降り積もる雪に散水が行き場を失い、一部水溜まりならぬ「霙溜まり」となっていた。
しかし信州の1里1寸(1里進む毎に降り積もる雪が1寸多くなる)ではないが、富山市中心部に近づくにつれ積雪、降雪共に少なくなり、富山駅に着く頃には多少舞い降りる程度になっていた。
5:15 新春の富山駅にて特急の入線を待つ。この時期にこの時間。富山駅前といえども開いている店は全くない。駅までの途中経路でも明かりを確認出来たのはコンビニと消防署位だった。
かなりお寒い。
やたらと寒い。
5:24 名古屋行きの特急が走り出す。雪は降っているが列車を止めるほどではない。しかし油断は禁物。きっちり1時間後には小松駅で下車していなければならない。第1の関門。
6:30 新春の小松駅に降り立つ。しかし新装小松駅の待合室は改札の中にあった。なかなか面白い作りになっているという感想はさておき、夜明け前ということもありまだ外に出ていない。年末年始ということもあり、そば屋はやっていない。寧ろ小生と駅員の他に誰もいない。
さてこの寒さ、某満塁ホームランカレー屋探しはやめようかなァ。天気の実況では外気温は2度らしい。
しかし、静寂も長くは続かず、頭を自ら100tハンマーで打ったとしか思えぬ輩に追い出されるように小松駅を後にする。ここにもいたか・・・・。
6:55 気を取り直し、昔の記憶を頼りに新春の真っ暗な小松市三日市商店街アーケードを行く。商店街の所までくると、ほぼ昔の記憶通りの光景が広がっていた。多少記憶よりは狭かったが、それは体が小さかった頃の記憶故だろうか。
まず、付近の目印を便りにかつて出入りしていた建物を探す。確か硝子屋の向かいだったはず・・・・今はブティックとおぼしき店が入居していた。看板以外は昔のままだった。このへんのいきさつについてもいずれhttp://whitewing.bitter.jp/faq/profile.cgiあたりに書いておかねばなるまい。
さらに足を進める。記憶が確かならば、某満塁ホームランカレー屋はアーケードを出た延長線上、ホテルの向かいにあったはずだが・・・・・
ありました!
あのカレー屋は満塁ホームランカレー共々健在。BANZAIものである。
健在とわかれば機会をみてまた食べに行きたいものだ。尤も、10年近くの年月、かつて親父とよく食べに行ったとはいえ店の主人も顔を覚えてはいまい。
カレールーの全国発送もやっているらしいが、まだ朝7時。当然開いているはずもないのでお楽しみは次回以降となるだろう。次回があればの話だが。
今後の参考までに、その店の名は「カレーの市民・アルバ」という。
ほっと一安心といったところで踵を返し駅前に戻る。KIOSKも開いておらず、駅前付近のコンビニを探し食料を調達。始発のバスに乗り、新春の小松空港へと移動する。
土産物を買い求めていると時間は8:15。空港は東京行きの客でほどほどに混んでいる。
まもなく搭乗。
あと少し。あと少しなのだ。
何が?
8:35 那覇行きの飛行機は小松空港を飛び立った。10年ぶりの小松の街は雲の彼方、瞼の彼方へ消えていった。次は終点那覇空港。もう寝過ごす心配をしなくてもよい。飛行機が水平飛行に移ったのを体が感じ取ったのか否か、とたんに眠りの世界へ誘われていった。
阿蘇上空あたりの日差しで目が覚め、11:30 新春の那覇空港に着いた。どうやら今年は無事に全日程を消化できたようだ。
ネタとしては前回ほどにはならなかったが、それでも今回のようなスケジュールも今回限りにしたいものだ。
予想通りの長旅に疲れ切った男の姿が、国際通りの某珈琲屋にあった。