長い長い昔話(2)-産声はこっそり-

本日はバケツをひっくり返したような日である。空から滝が、そして地面からも降ってきよる。地面から降ってくる雨は、山登りの際によくあるらしい。
台風の接近+秋雨前線のおかげで、ただいま西日本を中心に大雨。長野県内でも今までにたまった雨が一気に降ってきておる。一部地域ではすでに土砂崩れも発生。
何年か前に、長野県北部で記録的な大雨があり、大糸線・信越線をはじめ、長野から北へ出るルートがことごとく寸断して実家へ戻れなくなったことがあったが、今回の大雨でもそうなるか・・・?。


洗濯物も乾きそうにないので、存外に暇になった。昔話の続きを打ち込むことにしよ~っと。
~(2)産声はこっそり~
ホームページ作成コンテストから2~3ヶ月後のこと。年度が変わりかけたころだろうか? 今は都の西北にいる我が師匠からお誘いの声。
これがきっかけで我輩のサイトが始まった。開始日は1997年4月5日のこと。しかし当時のページは「ホームページ作成コンテスト」で作ったものを少々手直ししただけのもので、背景はデフォルトのまま、味も素っ気もない点は相変わらず。
サーバーの方も、一番古い型のPowerMacにサーバーソフトを入れただけの大変簡単な造りで、受け付けるのはhttpのみ。ハードディスクも256Mしかなかったが、それでもまだ半分近く空いていた。
それもそのはずで、当時このサーバーに入っていたのは前の年の秋に立ち上げたばかりの生協のサイトと、生協関係者&その知り合いのサイト(8人分)だけである。
フロッピー3枚あれば圧縮をかけずして、しかもバックナンバーコミコミですべて入ってしまうくらいのファイルしかなかった。しかもそのうち1枚は師匠のデジカメ写真である。
さらに、いろんなファイルが同じディレクトリに、日立のビデオのCMで登場する部屋のごとくごちゃ混ぜになっていたのだが、それでも管理できたらしい。さすがに個人のサイトはサブディレクトリの中に入っていたが。
それでも、当時としてはかなり画期的なことだったらしく、生協トップの後押しがなければWebサーバーを立ち上げることもかなわなかったとか。
そんなこととはつゆ知らず始まった我輩のサイトだが、その月のアクセスはわずか46だった。アクセスログを見ると、1日誰も、しかもサーチエンジンのロボットすら見に来ない日もあった。
そこからしばらくの間は、時たま大学のワークステーションで書いた雑文やレシピなどのページをフロッピーに落とし、当時のサーバー管理人(ぢつは都の西北の師匠)におねがひしてMacのサーバーにアップしてもらうという、のんびりとした更新をしておった。
Macを使い初めてまだ間もなく、UNIXとMacの間の改行コード・文字コードの違いなんぞ全く知らない頃のお話である。
このころ知っているタグといえば、
・<HTML>
・<BODY>(オプションなし)
・<TITLE>
・<P>
・<BR>
・<A HREF=~>
くらいである。
おお、雷様も出てきた。パソコンが危ないので、今日はこの辺で。(つづく)
Rec:1999-9-13/Mix:1999-9-15