長い長い昔話(1)-Webに出る前の話-

いや~今週ほどハードな週はなかったかもしれん。先週末から2日ほど乗鞍高原近くの硫黄ガスが立ちこめる温泉で合宿へ行き、そこから直接富山へ向かって翌早朝からは稲刈りである。そこで胃から汗をかくほど働いた後はすぐに長野に戻り、しばし休んだ後に夜9時まで食堂バイト。
移動の殆どが列車だったが、今回は寝過ごしの危機にもみまわれた。ふだんなら終点につく頃にはぱっちり目が覚めているのだが、今回は終点についたときの空気が吹き出す大きな音で目が覚めた。


乗り換え時間はわずか2分、しかもその日の最終なので、乗り換えに失敗すると富山到着は夜3時・・・・ということにもなりかねなかっただけに、冷や汗ものでおじゃった。
というわけで、今は乗り換えた特急の中にいる。ぼ~っとしているとたちどころに睡魔がやってくるので、ひとつネタをまとめるとしよう。
・・・・・ということで出来上がったのがこの「長い長い昔話」である。1ヶ月くらいはこの話になるかもしれぬが、少々勘弁してくだされ。乗鞍から富山への強行軍の話はいずれ車中でしたためまする。
~(1)Webに出る前の話~
昔々、今のようにWebが広まる前、確か大学2年の頃だったろうか。今のサイトの前身「FujiP’s homepage」もまだ始まっていない頃の話である。
実習の一環として「ホームページ作成コンテスト」が開かれた。昨年も行われ、なかなかの作品が登場したという。
とはいっても、そのころ学科で使えたのは
・白黒のX端末
・Win3.1のパソコン
・8台のワークステーション
であり、ワークステーション以外は結構ガタがきていた。
加えてブラウザーはJPEG非対応のMosaicである。Netscapeはまだ一部のパソコンにしか入っていなかった。
そういう環境だったのと、タグの説明が長ったらしかったのとが相まって、まじめに取り組む人はまあ2割いればいいところだったかもしれん。ちなみに我輩は残りの8割。こっくりこっくり船をこいでおった。
目が覚める頃、宿題がでていることを知る。1ヶ月くらいの間に実際にページを作ってみいというもので、優秀作を作った人には賞品が出るとのこと。
しかし、やはりというかお約束というか、大半の人のエンジンがかかるのは他のレポート同様、締め切り直前である。
そのころになると、クラスの間にはソースコードレベルの情報交換が行われており、非常にそっくりなページを作って提出をする方々もいたとか・・・・?
そういった感じで次々と出来上がっていったのだが、そんなページは大きく
・スキャナーで取り込んだり、ドローツールで作ったりした画像をふんだんに使ったものや、METAタグを使って複雑なプログラムのようなものを組んだページといった、当時の我輩にはとても真似できないもの
・簡単な自己紹介とYAHOOへのリンクのみという、今でも時折みられるお粗末極まりない、真似したくないもの
といった2つに分かれていた。
・・・・・そこで思いついたのが、当時LaTeXの使い方の勉強も兼ねて書き始めていた雑文をHTMLに焼き直してページを作ることである。
と同時に、「テキスト中心」という、方針のようなものも立った。というわけで早速Emacsを使ってLaTeXからHTMLへの焼き直しスタート。LaTeXコマンドとHTMLタグは似ているところが多く、作業は思った以上にホイホイホホイと進み、締め切りの前日くらいにひとまず完成した。
出来上がったページだが、背景もデフォルトのままの、たった4~5ページからなる味も素っ気もないデザインのページである。
そして締め切りからしばらく後、コンテストの結果が発表され、優秀作品が教官のサイトで紹介され、作者には図書券が贈られた。
当然というか、我輩のページは選にもれたが、そこそこ造りはしっかりとしていたらしく、優秀作品と一緒に「その他諸々の公開に耐えうるページ」の1つとして公開されていた。なお、そうして実際に公開されたページは提出されたものの中のだいたい半数くらいだった・・・・かな?
こうして我輩のサイトは芽を出したのである。(つづく)
Rec:1999-9-10/Mix:1999-9-14