・・・ご愁傷様です(後編)

翌日も朝から気も手も抜けない。次の日の準備や、お客への応対であっというまに時間は過ぎていく。そういえば、火葬の許可申請に死亡届の届け出ってーのもあった。あれ、昼めし食べたっけ?というまにお通夜の時間。礼服に着替えて会場へ。途中八百屋でお供え物に使うリンゴとミカンを車に積めるだけ買っていった。お供え物には、このほかにお菓子、花、灯籠など、多種多彩で、金額もバカにならない。
そこそこ人が集まったところでお通夜が始まった。読経・焼香が行われ、比較的短時間で終わった。その後食事が出されたのだが、中身はおこわと澄まし汁と煮物に漬け物。「精進料理」というやつだ。亡くなった日から、初七日の法事が終わるまでは、肉魚(「なまぐさ」と呼ばれる)を食べてはいけないことになっている。


そしてお通夜も終わったのだが、明日はさらに忙しい。参列する人があまりにも多いので、今までの会場には人が入りきらない。そこでお葬式は近くの公民館を借りて行うことになったのだが、その前に棺桶をその公民館へ移さなければならない。何を行うにしてもお経をあげてからなので、朝8時半前にはもう支度を済ませていなくてはならない。
というわけで、早速現場へ。そして、棺桶を車にのせて会場へ向かう。しばらく待った後、葬式本番スタート。読経と焼香があったのだが、あまりにも多数の人が一度に焼香したためか、煙がもうもうと会場に立ちこめている。
挨拶の後、出棺。霊柩車に喪主と棺。遺族&親類縁者はハイヤーとバスに分乗して火葬場へむかう。
車に揺られて火葬場に到着。そこでまたまた読経があり、棺の中の顔を拝んだ後、棺は3重扉の中へ消えていった。入れ替わり立ち替わり、棺桶の出入りや読経が行われている。そういえばお葬式には「友引」の日を避けることが多いので、その翌日に当たる今日はいつもの2倍の忙しさ・・・なんだったねぇ。
おおよそ2時間くらいで火葬は終わる。その間にいったん会場へ戻って昼食&撤収作業。それから再びバスに乗って火葬場へ向かう。
火葬場に着くと、仏さんはもう「お骨」になっていた。足の方にあたる骨から順に、親類縁者・遺族が一人づつ箸を使って「お骨」を壺に入れていく。壺の大きさは丁度頭の大きさくらいだろうか。それともう一つ、手のひらサイズの壺に「のど仏」の骨だけを入れていた。この小さい壺は、当分の間仏壇に飾っておき、大きい方の壺をお墓に入れる。
そしてまたまた会場へ戻り、すぐさま初七日の法事。初七日の法事は、最近ではお葬式の当日に済ませることが多い。そして「精進落とし」と相成る。肉魚はもちろん、お酒も解禁。
そして豪勢な仕出し料理とお酒が出された。ほとんどの人にとっては、お葬式はこれで終わり。だが、まだまだやらないといけないことはあって、費用の精算や、香典返しの品物の返却(詳細は最初の方へ)の用意、車庫に避難させていた家財道具の運び込みに、仕出し料理屋から借り受けてた食器の返却などがある。そういえば、挨拶廻りってーのもあるが、ここらへんまでくると、ほとんど喪主の出番のみ。
後かたづけをしていたところ、とんでもないことが分かった。仕出し料理屋から借り受けてた食器のうち、結構な数がなくなっているのだ。落として割っちゃった・・・なんてのはなかったので、まちがいなくどこぞのド阿呆がこっそりいただいていったということになる。料理と食器をを注文した側の弁償費用はバカにならない。
どうせ弁償するのは自分じゃあねぇや、ってことで人様のものを勝手にくすねていく輩が、ムラ社会には意外と多い。しかも年を取るほどその人の割合が増えてゆく。意地の悪さと暇さ加減においては、天下一品?
しかし、トラブルはこのくらいで済めばまだいいもんらしい。お葬式はほぼ無事に終了した。家に帰ってきたときにはもう夜の9時を廻っていた。てんてこ舞いだったおやじは、すぐに寝た。
卒業式とお葬式という2つの船出。期せずしてその日が前後してしまったが、これも何かの縁なんだろう、ということにしておこう。偶然できたつながり出来事の積み重ねで今の私がここにいるんだし。(おわり)
合掌。
Rec/Mix:1999-4-19