10月1日、新生”White Wing”は誕生した。ひょんな事からトップページのタイトル部分には白い鷹が生息している(なに、ハトにみえるってぇ?)。”White Wing”というのはPART 1を見ての通り、「どれどれ、ここらで一つかっちょいい名前でもつけてやんべぇ~」ということで、ない頭をひねって約5秒間じっくり考え抜かれた名前である。
改装前のホームページが「鳥の翼を広げた」ような幅広いディレクトリ構成になっていたのが直接の由来だが、たった5秒でこんな名前を思いつけるわけがない。
こんな名前を思いつくための、土台となりそうなものがいくらか転がっているではないか。
てなわけでその土台について・・・・と行きたいところだが・・・・・・、
おっとっと、今回はいきまっせ。
一、特急「はくたか」
急ぎの用で富山の実家へ帰省する際に、必ず利用する列車がある。
特急「はくたか」、金沢・越後湯沢の間をすっ飛ばす列車(昭和40年代初め頃には、上野・金沢間で運行されていたとか)で、越後湯沢からの上越新幹線とのリレーにより3時間少々で北陸と首都圏を結ぶ。東京優先でダイヤが組まれているため、直江津での長野方面への接続はお世辞にもよいとは言えないが・・・。
それはさておき、その特急に使われている車両が何種類かあるのだが、その中に先頭部分に鷹をあしらったマークがついているものがあった・・・はずだったなぁ。
というわけで鉄道ネタのページをあさってみたら、やっぱりあった。ついでに「ホワイトウイング」とニックネームのついた車両が使われていることがわかった。灯台もと暗し。
てなこともあって、初代バナーはその「ホワイトウイング」なる車両のデザインをもとにして作った「ジョークバナー」となった。このサイトには鉄道ネタは全くないしいずれはまともなバナーを作らねばとは考えてはいるのだが・・・。
一、はげたか
どういうわけだか知らないが、ハゲは笑いの種となる。先出の「はくたか」も、1文字変えると「はげたか」となる。はげたかの頭は・・・やっぱり笑いのネタとして使われている。
いつの話だったろうか、帰省の予定の話をしていたときのこと「直江津からはくたかに乗り換えて~」と言うべき所を「はげたかに~」と言ってしまったらしく、笑いの渦が。
それからしばらくの間「はくたか」が登場すると自動的に「はげたか」に修正されたり、あるいは始めっから「はげたか」で通用させたりといった、言葉の悪ふざけが仲間内で横行(笑)した。
・・・と思っていたら、このネタは鉄道方面に詳しい人たちの間ではとっくに使い古されていたようだ。
このおかげで「特急はくたか」の知名度が若干上昇したようだが。
一、立山開山伝説
私の出身地、富山県中新川郡立山町。そこには日本三大霊山の一つとうたわれる「霊峰立山」がある。(残りの二つは富士山と白山だったかなァ)
その山は、古くから地獄と極楽があると言われ、信仰の対象となってきた。今では電車とバスで約3時間、更に歩いて2時間で頂上に登ることのできる、お手軽日帰り観光地となっている。登山中継基地の室堂には携帯電話の基地局ができたとか。
でもってこの山には、ふもとの川のほとり・その上流の谷間・そして頂上に「雄山神社」がある。3つの社にお参りをしないと立山に登ったことにはならない、というくらい霊験あらたか・・・という話だ。
私の記憶が確かならば、立山信仰の事の始まりにはこんな言い伝えがあったはずだ。
今は昔、平安の世、豪族の息子佐伯有頼が狩りをしていたところ、一羽の白い鷹を見つけて矢を射る。矢は鷹に当たったが、鷹はそのまま山中へ逃げていった。
有頼は血の滴をたどって鷹を追い、洞窟にたどり着いた。洞窟の奥から光がさしているのを見つけ、更に奥へ入っていくと、なんと自ら射た矢の刺さった仏像があるではないか。
仏とのただならぬ縁(仏縁と言うそうだが)を感じ取った有頼は、仏門に入り(お坊さんになる、の意)、それをきっかけとして立山信仰が始まったという。
てな記憶があったがいかんせんおじじから聞いて以来だいぶ年月がたっているので、裏をとるべく図書館へ・・・・なんて面倒くさいので、思いつくだけのキーワードを使ってサーチをかけてみた。ほーすると何件かかかったではないか。
でもって絞り込みをかけて捜し物に無事ありついた。
・・・・が、見てみたところとんでもない思い違いをしていたことがわかった。
矢を射られたのは
白鷹ではなく白熊
だった。あっはっは。雄山神社で使っている紋は鷹の羽だったみたいだが。
以上のように、本業(次世代携帯電話の研究)とおよそ関係のないことになると、がぜん脳味噌の回転が上がり活発になるような男、Fuji-Pによってこのサイトは動いている。
こうして今日もまた、おバカなぺぇぢが増えてゆく。唯一まともと言い切ることのできるコーナー、「CDMAうわっ!」の行方や如何に?
(追記)実家のある立山町の歴史について書いてある本が手に入ったので、そこから立山開山伝説のくだりを調べてみた。
矢を射られたのは熊であったというのはそのとおりだったが、白鷹も話の中で佐伯有頼を仏像のある洞窟へ導くという重要な役割を演じていた。熊も鷹も、佐伯有頼を立山へ導くために地上へ降りてきた神仏の使いということである。佐伯有頼自信も、神のお告げの通りに生まれた人だったそうだ。
もそっと正確な立山開山伝説は、次のとおり。
今は昔、平安の世、豪族の息子佐伯有頼が先祖代々飼っていた白鷹と一緒に狩りをしていたところ、熊に襲われ白鷹は山中へ逃げていった。有頼は熊に矢を射て、熊に当たったが、熊も山中へ逃げていった。
熊も鷹も、どういうわけだか同じ方向へ逃げてゆく。有頼は血の滴をたどって熊を追い、洞窟にたどり着いた。そこへは少し前に鷹も入っている。洞窟へ入ると、中から光がさしている。奥へ進むと、自ら射た矢の刺さった仏像があるではないか。
仏とのただならぬ縁(仏縁と言うそうだが)を感じ取った有頼は、仏門に入り(お坊さんになる、の意)、それをきっかけとして立山信仰が始まったという。
ついでながら、立山周辺の地名には、この一連の伝説にちなんだものが多いということである。この伝説が本当かどうかまではわからないが、立山が重要な場所であったことは間違いない。(1999-4-6)
Rec/Mix:1998-10-23