岡田ジャパンは善戦むなしくW杯予選落ち。
ちが~うっっ!
ショパン・・・・だったか?「別れの曲」を作ったのは。
フレーズらしきものは頭の中にあるのだが、普段我輩にとって音楽とは「編集するもの」なこともあってか(最近選択肢の中に「コンピューターで作る」が加わりつつあるのだが・・・・金がねぇ・・・・ToT)、クラシックの類には疎い。
さて、普通「1年の区切り」といえば1月か3月のどちらかを連想するかもしれないが、6月を区切りにしているところもある。ほれほれ、企業の株主総会も6月によくやってるやん。
我輩のバイト先の生協も、6月を1年の区切りにしている。
一人の男が、生協の1年を見届けて旅だっていった。
その人物の名は中谷隆秀(敬称略)。バイト先の生協のトップである。私が仕事のイロハから人生のホヘトまでを授かった「薬箱」のようなお方である。
先日仲間内で送別会を行ったのだが、その会場にはちょっとした因縁がある。
全国に4~5カ所ほどしか残っていないとかいう「うたごえ喫茶」。店内にピアノ、ギター等の楽器と、歌詞カードが置いてあって、来た客の1人がおもむろに楽器で伴奏を始めると、残りの客がいつの間にやら歌詞カード片手に伴奏に合わせて一斉に歌っているという店である。
その1つが長野市内にある「ともしび」という店だ。
去年1年間、とある冊子の編集長をやっていたのだが、就任の少し前のこと。制作スタッフに加わった当日がちょうど忘年会だった。
その店が他でもない「ともしび」で、それ以来中谷専務と一緒に何度か足を運び、ギターに合わせて歌うといったことがあった。
中谷一家とはそれ以来のつきあいである。 じつはその店は、中谷専務が学生だった頃にほぼ毎日のように通っていた店だったという。
そんなことがあって以来、一緒に食事に出かけたり、仕事を手伝ったり、ときたまお灸を据えられたりしながら「仕事のイロハから人生のホヘト」を教わった。我輩の先輩後輩達からも慕われていたっけなぁ。
そんな中谷専務なわけで、卒業したOB・OGから「仲人の依頼」を受けることもある。そのときにはかわいい子供達に接するときと同じくらいに目尻が下がる。彼氏持ちの某女史は、すでに仲人を中谷専務にたのもうかと画策しているそうだ。私の方にも「仲人ならいつでも引き受けたるで」という話がくるのだが、はたしていつになるやら・・・・・?
たとえ「お相手」がいなくても(いる場合もだけど)、恋のお悩み相談にものってくれる。我輩の後輩達の中には、飲み会の度に恋について語り合う者達もいる。
こんな風に、人間関係の奥深くまで結びついている中谷専務だったから、大学の生協から地域の生協へ移籍することが決まった時にはあちこちで涙涙。これも人徳のなせる技なのだろう。
生協主催の公式な送別会でも、涙涙の職員のみなさんが多かった。
その送別会だったのだが、中谷一家を招待の上、関係者の思い出話などで盛り上がり、盛大のうちに終了した。中谷専務宛のメッセージも来た。
そして中谷一家は人で埋め尽くされた花道を、挙式の時のBGMでもあった長渕剛の「乾杯」をバックに会場を後にした。
・・・・・・・はずだった。
ところが、会場を出た直後に学生数名が中谷専務を急襲。会場に「かつぎ戻された」中谷専務は大歓声をバックに宙を舞った。
ぢつはその急襲部隊の中に我輩もいたのだ。足を引いて倒し、協力部隊が背中をキャッチ。そのまま会場へGO! 胴上げへ移行するまでに時間、しめて5秒なり。ふっふっふっ(笑)。
Rec/Mix:1998-7-2