冬はつとめて

冬・・・・その寒さから、事の終わり、停滞の例えとしてよく使われているようだ。「雪に閉ざされた・・・」「氷に閉ざされた・・・」といった表現は、そこから来ているのだろうか?
だが、冬は終わりとは限らない。例えばチューリップの球根。このテの球根は、寒さにあわないと芽が出ない。冬の間に春にむけての支度をしている・・・ことになる。
冬は終わりとは限らない。一年の始まり、お正月は寒い冬にある。
一年の計は元旦にあり。事の始めをおろそかにしてはいけない。


「冬はつとめて」・・・・・枕草子の中の一節である。「つとめて」とは夜明けの直前の頃を指す。冬の明け方は美しいといった意味の一節だったが、清少納言は冬の明け方の中に何を見たのだろうか?
今のところ、人と人とが互いに理解しあえるのはまだ点と点にすぎないようだ。
人が何かに燃えているとき、必ず「熱」を表に出しているとは限らない。炎を内に秘めていても、燃えていることには変わりないと思う。
そういった炎は中へ踏み込んでみないとなかなか感じることは難しい。しかし、それを感じ取ったとき、何かが変わる。場合によっては導火線に引火したりだとか。・・・・そして、新たなる始まりへ。
冬でしかできないこともたくさんある。遊び心しだいで冬はオモシロくなる(はずだ)。ものは考えよう、だったねぇ。
冬のあとには草木が芽を出す。恋が終わっても、入れ替わりに愛が芽生える・・・・。そう、信じたい。
Rec/Mix:1997-10-1