決戦!白亜の要塞(名古屋編:後編)

物心ついて初となる挙式への出動。現場は名古屋。
実況途中の通信途絶(前編参照)。一体何が起こった?
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某月吉日。
時計の針は朝5時。御祝儀袋が粛々と完成。風呂に入り、それなりの衣装に着替え夜明け前の街をゆく。そこら辺のマナー本ではブラックスーツと白ネクタイが基本とあるが、若いうちはそうでもないですよ? さてこの時間、街に居るのは道路工事の方か酔っぱらいかコンビニに屯する若造かホームレス位。それにしても早い。今日の一大イベント、結婚式は15時半からなのだが…。


流行風邪で喰らった胃腸炎+不眠(この所睡眠周期が明後日の方向を向いていた為か、眠れず終い)という状態で身が持つのか否かはさておき、那覇から空路名古屋に降り立ち、会場直行バスに乗る。
30分程揺られまして…自称引き籠もり、天下御免の世間知らず男、物心付いて以降初の挙式会場へシュシュッと参上…だったが定刻よりもかなり早すぎた。結果からすると次の便でもギリギリ間に合う計算になる。沖縄に来て以来毎度の事ながら時間と距離の取扱は難しい。
さてどうするか? ここでお散歩としゃれ込む小生の思考パターンが如何様の代物かは未だ自身でも量りかねているが、
広小路→名古屋駅前→伏見通り→名古屋城→外堀沿い→久屋大通→テレビ塔→栄→広小路
と中学の地理の時間程度の街の配置図を便りにシュシュッと廻る。まあ次に名古屋へ来た際の参考程度にはなるだろう。高級ホテルやデパートと歓楽街が混在しているといった謎は残ったが。(帰宅後にさる方と電話でその話をした所、仰天されていた様子だった)
一回りすると丁度いい時間になったということで参列予定の同期組と合流。ネタあわせに入る。ホテルのロビーで覆面の試着というのは勇気が要る…? しかもあのホテル。名前だけ聞いてびびる。
そして時は来た。挙式が始まる。
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出し物として覆面座談会が行われていた頃だろうか。
時計の針がにわかに気になりだす。
宴酣ながら時が来た。この時まだ18時。しかし持ち時間は今日のみ。一通り関係者への挨拶を済ませシュシュッと撤収。Hurry UP!
外へ出ると何故か雨が降っていた。雨が降ってもばんざ~い? これを新婦の父親の「涙雨」という。しとしとぴっちゃんしとぴっちゃん。小走りでバスターミナルへ向かい、空港直行バスを待つ。
私の予測が確かならばば、この後に残るは親御さんへの花束贈呈、新郎新婦ご本人の挨拶が入るのだろうか。山場じゃないですか締めじゃないですか大トリじゃないですか。無念。酒と食事が途中までで済んだ事は幸いだったかもしれぬ。胃腸炎にはけっこうきつかった。結婚式は斯様な状態で出席するものじゃありません。祝福の心は健全な心身から。
で、ノンストップのバスにて名古屋空港に着くと搭乗手続きの締め切り寸前…しかし手続きを済ませて搭乗口に駆け込むと出発時間が1時間以上先へ延びていた事に気付く。Hurry DOWN….がっくし。
途中抜けしてくるんじゃなかった(笑)
あ、手作り飴細工を戴きそびれた。今更気付いても文字通りの後の祭り。
尚、引出物を後日確認してみた所
・純白のボウル
・チョコレートケーキ
・カタログギフト
という品揃えであった。これも何らかの意味が込めてあるのだろうか? 
っていつから文系アカデミックなコーナーになった?この「大都会」は。
さて一時間後。涙雨はかなり大粒になっていた。飛行機はどうにか飛び立ったが四六時中揺れっぱなし。厚い雲は下の方が明るいという妙な状態になっており、気流も荒れ放題のためか小一時間は揺られた。その後一時間半ほど飛び続け、日付が変わったころに漸く帰宅を果たす。朝になればまた出動・・・トホホ。
(空港に着いて分かったのだが、この日は航空ダイヤが乱れに乱れ、午前1時着の便もあったという)
というわけで此度の白亜の要塞での決戦(?)では苦杯を舐める結果となる。名古屋式らしからぬ(?)手作り風披露宴だっただけに全部見られず残念無念。リベンジマッチだ…ってこの手のものは生涯唯一でしょうが。でなきゃ困る。
今回、得た物も多かったが宿題も多い。次に活きればそれでよい、ということにしておこう。次からは意地と根性で最低2日確保せねば。
そもそもの元凶はそれだ。
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人間関係のメンテナンスは結構タフな仕事である。特にその目的を達すために沖縄から足を踏み出す事自体がかなりタフな仕事である。
これが、その物自体が魅力であり癌でもある沖縄に足を突っ込んだ者の宿命…かもしれない。
最後に事前準備等々、お疲れさまでした。