あの日の風景(新人のいない歓迎会編)

もう6年位前になる。
その年の春、当時出入りしていた某情報誌の制作メンバーに3人の新人が加わった。
この季節にはつきものの歓迎会が企画されたのだが、日程の都合か新人は誰も参加せず、結局従来のメンバーで行くことになった。
当時はまだ上信越自動車道も長野市付近で止まっており、当日は18号線を長野から北上したのだが、先導車が大渋滞を作ったり、その先導車があまりにも加速が鈍いために上越ICでは後続が加速車線から一気に追い越し車線へ移って先導車をかわしつつ猛加速する技を拝んだりなどの珍道中の末に青海川の海岸に着いた。季節は違うもののかの逃避行の終着駅である。岩場と断崖絶壁、騒がしい風と荒波の組み合わせ。


その年の冬、ロシアの老朽タンカーが派手に座礁して沿岸に重油が漂着したという出来事があり、一時は大規模なボランティア軍団が編成されて重油回収に当たったという。青海川一帯も然り。
しかし季節が流れ春になると主だったところの油は粗方回収されており、その頃には青海川の駅近くに置いてあるドラム缶に各自回収してきた重油を入れておいてくださいというところまで規模は縮小していた。それでも断崖絶壁を中心にそこそこの重油が残っていた記憶がある。
午前中は重油回収で一汗流し、午後からは断崖絶壁の上のあるフィッシャーマンズワーフだったか肴でなくて魚等を買い求め、バーベキューとしゃれこんでいた。
あの時は皆若かった。
それなりの悩みらしきものもあり、潮風に体ごと晒したら少しは楽になるかと思い立ったまではよかったのだが、そうしている内にホイルでバターと一緒に包んでおいたじゃがいもが焦げていた。
妙に香ばしい香りがしていた。皆その香りが漂うまで気付かなかった。
そうして夕方までのんびりとバーベキューと酒を堪能し、帰りに鵜の浜温泉でひとっ風呂あびてライダーらしきおっちゃんと話しこんでいたらドライバー殿がの危うくぼせるところだったというネタもあった。私も危なかった。
あの頃私は青かった。今も今でアホだった。
しかし当時のその辺りから私があんなことやこんなことやあまつさえそんなことに目覚めていようとはまだ知る由もない。
もう6年位前になる。