プロローグは黄砂の彼方

この感覚、一体何年振りなのだろう。少々妙な感覚だ。
頭の使い過ぎかは定かではないが、記憶の保管と読み出しを司る機能のコントロールが付かないでいる。暴走を通り越して暴想しているのだろうか。
何年か前確実に存在した記憶。現在自分の置かれている状況とは決して相容れることの無い記憶。しかし決して否定してはいけない、寧ろそうしたくない想いに駆られる記憶。やけに懐かしい。
春は曙。出会い別れ土に埋もれ日が沈む様に死んでいき、再び日が昇り、新しい命が芽生える。新しい出会いもまたそこにある。


花の名所に多いと謂う染井吉野は、一気に、爆発的に花開く。余りに強烈な咲き方をするせいか、花を付けている期間も、木それ自体の寿命も短いという。あの花の色は樹の幹全体に潜みその刻を待っていた、という。
花の命は短くて、か。懐かしいネタだ。
もっとも性別を問わずそのような出だし話の跡に残るはお間抜け話、笑い話の類だったりする…かもしれない。杞憂の類とでもいうのだろうか。全力だったからこそ、聞く方としても笑えるんだけど。笑える形で終わる事はある意味大変幸福な方に入る結末かもしれない。それを上回るものを、私は寡聞にして1つを除き知らない。
今の心境をどう表現して良いのか判らない。どんなに切羽詰まっていても失ってはならない物がある。叫ぶか何かせずにはいられない衝動に駆られる。
手近なところを見渡しても、頼りになるチャンネルは見当たらない。
先は何も見えないのだが、時は来たようだ。長年の宿題に納得のゆく答を出すその時が。
待ち受ける物が、いつぞやの某所に現れた毒の霧なのか、ロケットパンチなのか、暁に佇む真っ白に燃え尽きた自らの姿なのか、はたまたそれらとは全く別のものなのか見当が付かない。そう思いこんでいるだけなのかもしれないが。
決断を下す、と言う行為にはなにやら恐ろしげなムードがつきまとう。勇気で補えることもあるが、無謀とは違う。
こんな時には一歩半程引いてみてから行き先を筆に問うかして自らの手元から突き放してみるのもよいのだろうか。今の私に出来るのはこのような様をもネタとしてしまうことしか思い当たらないのだが。
いざ。
とはいってみても知らぬは本人ばかりなり、かもね。
何気なしに出た言の葉の端々に、滲み出ているものは意外と多くあるものだ。そして勘の鋭い人は霧の中だろうが砂塵の中だろうが、あまつさへ磁気嵐の中だろうがその肝をピンポイントで的確に射止める。出した本人の無意識と意識の狭間にある何かを。
勿論その的には私も含まれるのだが、防御はしないのかという突っ込みは無しにしておこう。
バックギアを壊してでも前進する以外にないし。