枯れ木にメタル

懐かしいですなあ、「枯れ木に花を咲かせましょう」でおなじみの花咲爺さんのおはなし。枯れ木に花が咲くなんてありそうでなさそうな、それでいながら夢のあるお話じゃあありませんか。今回のお話は、現代版花咲爺さんといったところ。少々小難しいお話になりそうじゃが、その辺はご愛敬と言うことで。ただし、新聞記者諸君はネクタイは外していてもいいから(???)心して読むべし。学生にも間違いがわかる記事(殊に最新技術に関するネタ)書いてちゃあ、紙の新聞はおしまいでっせ。


2月の終わり頃に1つのお話が飛び込む。なんでも、全国初のADSLサービスを行っている「有線放送」の設備を見に行かへんか?と言う話。学会のほうから補助が出るので、お代はタダらしい。早速乗る我輩。
そうそう、ここで言う「有線放送」ってのは毎度おなじみの”USEN”とはじぇ~んじぇん関係はない。全くの別物である。今を逆ぼること3,40年ほど前、まだNTTの電話が都市部にしかなかった頃に、ご近所でお金を出し合って作られた近所同士の連絡用電話が各地で作られた。かけることができるのはもちろんご近所の範囲内。これが「有線電話」。昔は全国どこにでもあったらしい。
そいつの発展形が「有線放送」で、今で言うCATVのようなものらしい。ところが、全国へつながるNTTの電話の普及に従ってじり貧となり、次第に消えていった・・・・・のだがどういうわけだかここ信濃の国ではかなりの割合で生き残っていた。それを使ってADSLちう高速の通信回線を作ったのだ。
で、まず地元のプロバイダー(らしいとこ)から来た方に簡単な説明をしてもらったあと、「川中島有線放送会館」というところへバスで向かう。しばらくすると、お世辞にも新しいといえない建物に到着。ここに世間をにぎわすADSLの設備があるとはにわかに信じがたい一行。
中へはいると、鉄のサッシやら昔中学(だったかな)の放送室で見かけたオープンリールのデッキやら、昭和40年代っぽい感じのものがたくさんならんでおった。その中を通り抜け、一番奥にある「交換機室」へ通された。
がら~んとした部屋の中には、使っていない机やらケーブルやらの資材がそこそこに積まれていて、隅の方に洋服タンスっぽい白塗りのきれいな箱と、扇形に広がったケーブルの束と、雑然と機械が積まれたスチール棚があった。棚の上の機械はなにやらLEDがチーカーチーカーしておる。
話を聞いて一行はおどろく。部屋の中にあるもののなかで、一番新しい感じのしないスチール棚が実はADSLのモデムなどの装置だったのだ。しかも、よく見ればスチール棚にはそこら辺で売っていそうな角材やらビニールシートなどが敷いてあるではないか。
これらは機材の冷却とほこりよけのための工夫とのこと。むやみに冷却ファンなどを回すと、ちりやほこりを吸い込んでしまうので、そうやって自然通気で冷やしているらしい。しかも、これと同じようなことが東京めたりっく通信のADSL設備でも行われているとか。しかも、これ以外に新しい設備は設置しておらず、必要な回線は、元からあった(眠っていた)有線放送のケーブル、しかも銅の電話線(メタルケーブルというらしい)を間借りしているとのこと。コロンブスの卵、しかと見届けた。
ちなみに、白塗りのきれいな箱に入っているのは有線電話の交換機だとかで、昔は部屋いっぱいにたくさん交換機が並んで、がちゃがちゃ言いながら電話をさばいていたらしい。それでいて仕事の能力はどっこいどっこいとのこと。
こういった仕組みのADSLなのだがその能力は大したもので、試しに大量の画像をダウンロードするページにつないでみたら、あっというまに画像が表示された。それもそのはずで、送信速度が270k~1Mbps位(契約の種類によって変わるらしい)。受信速度は最大1.5Mbps。ISDNなんてカスにもならないらしい。学内LANよりも早かった。ちくしょう、かっこいいじゃねぇか!!
この全国初のADSLサービスが始まるまでには様々な苦労があったらしく、お役所への届け出(意外にもすんなりいったとか)やら、手探りでのシステムの調整やら(初めてということもあり少々手こずったとか)、NTTの回線をできるだけ使わない方法の検討やら(これに一番頭と神経をつかったらしい)でサービス開始までにかなりハードな日が続き、3食が点滴だった(??)という話を最後のほうに冗談半分で聞かせていただいた。
一見不可能と思えることも、すいすいっとやってしまう人たちがいる。
不可能な夢を見るのは fool or crazy
不可能な夢をかなえる fool or crazy
(TM NETWORK “Kiss You”より)
ともいうらしいが、わたしはその”fool or crazy”なのか?はたまた将来なれるかな?
Rec:2000-3-18/Mix:2000-03-25