長い長い昔話(4)-「館」へ-

我が家にはテレホンカードも大量に有り余っている。献血の際にもらったものだ。携帯を入手して以来、テレホンカードを使うのは、自宅の有線電話にかけるときか、携帯の圏外にいるとき位。
通信手段は殆ど携帯か、そのメールか、電子メールに移行してしまったので、自宅にはテレカが未使用のまま眠っておる。ICカードの電話が長野にも登場し、テレカが使えなくなる日も間近にせまってきておる。さて、どう始末してくれようか?
さて、最近は赤十字も羽振りがいいらしく、献血の際にはテレカの他にも図書券やCDギフト券から選んでもらえるようになった。テレカがこのようにたまっているので、最近は図書券で受け取るようにしている。


そのようにして手に入った図書券が大量に溜まりにたまったので、それを使ってお買い物をしてきた。図書券を使って買い物ができるというのは非常に便利である。
ついでに我輩のノートもメモリが96Mにアップした。増設してちょっこり動作が快適になり、もそっと使い勝手がよくなる・・・・かな? 打ち込みで試してみよう。
~(4)「館」へ~
時は1997年10月、我輩は生協サーバーの管理人の仕事を都の西北の師匠から引き継ぐこととなった。
とはいっても生協サーバーは、一番古い型のPower Macにサーバーアプリを入れだだけの、HTTPアクセスだけしか受け付けない(しかも読み出しのみ)簡素な作りのものだったので、セキュリティーについては全く考慮する必要がなかった。
それ故か、仕事の大半はネタの管理に費やされることとなる。
引き継いだ当初のサイトは、宿主の生協からのちょっとしたお知らせ情報が主で、ページ数もわずかだった。しかもバックナンバーやら画像やらなんやらかんやらが雑然と1つのディレクトリに入っておった。
というわけで、最初の仕事はディレクトリの大掃除。このころにはMacもUNIXほどではないがそれなりに使えるようになってきたので、片手間にリンクなどを現地で修正しながら1ヶ月位かけて大掃除を済ませる。
それからが一仕事(というわけでもなかったか?)。このころには、今までに見てきたいろいろなサイトから、「ネタの量」がある程度大切ということに感づいていたので、まずはなりふり構わずネタをつぎ込む。ついでに自分のサイトで培ったノウハウ・技術もつぎ込む。
主なネタは、当時平行してやっていた情報誌の編集長権限で、そこから引っ張ってきたものである。その原稿の作り方の一部をちょこっと変えるだけで、すぐにHTML化できたりするので、作業は非常に楽だった。
このようなやり方だったので、定番ともいえる(?)ごく普通のお知らせなどはあっというまに殆どがそろった。
2ヶ月ほどでネタの整備が終わってしまったのだが、それだけでは飽きたらず、情報誌のバックナンバーから学生さんが投稿してきた体験記などの移植もスタート。
情報誌の中でも盛り上がり&売れ行きにも結構貢献してくれたこういった読み物だが、その中の「中米ヒッチハイク旅行記」が、我輩をとんでもないドツボへと落とす誘引剤となろうとは・・・・
情報誌の中でも特に好評を博したこのヒッチハイク旅行記。出版してからすぐにHTML化したところ、サイトのアクセスが急増した。情報誌の方もよく売れ、当初旅行記は単発企画の予定だったのだが、読者からのアンコールにより、年度いっぱい続編も登場することに。
もちろん、メールで寄せられる問い合わせ、感想も多く寄せられ、中には執筆者と連絡を取りたいという人たちも登場。了解を取った上でメールアドレスを公開した。
そんな方々の中に「上林さん(だったかな? うん、そうだ)」という方がいたのだが、上林さんからのメールには、毎回おすすめサイトがちょこっと書かれていた。
当時おもしろいサイトに飢えていた(・・・というか今もやん)我輩が飛びついたのが運の尽き(^_^;
「藤原博文の館」「がんばれゲイツ君」という2大サイトのドツボに見事はまっちまいやした。殊に「藤原博文の館」から得たものは大きく、平日一日一回のぞきに行く中毒症状にかかったのと引き替えに、Webサイトの管理についてのノウハウを多数吸収できた。
とはいっても、さほど難しいことでもなかったので、得たものはすぐに自分のサイトへもフィードバックされていくこととなる。(つづく)
Rec:1999-9-20/Mix:1999-9-23