たわけ者

いまでは滅多に使われなくなった「たわけ者」だが、馬鹿者にさらに輪をかけた超大馬鹿者という意味合いをもつとでも思ってほしい。
昔々、今のような米余りだとか農家の後継者不足なんて到底考えられない時代、田んぼそのものが少なかった頃のお話であります。
今でこそ、親の遺産は兄弟で均等に分け合って相続するものというように法律で取り決めてあるものの、昔は遺産の相続は、「跡継ぎ(たいていの場合長男)」が全部まとめて行い、他の人に分配されるようなことはまずなかったそうな。


それにはきっちりとした理由がある。例えば農家の場合、人数に対する田んぼそのものの面積がと~っても少なかったので、分割して相続するようなことがあれば、世代を重ねていくうちに田んぼが小さく小さく分割されていってしまうためである。
それでも田んぼを分けろという、相続人以外の人に対して
「たわけ者」
という一言が浴びせられたそうな。始まりは「田分け者」・・・ということだ。
時代は流れ、相続の際に田んぼが分割されることもなくなり、逆に田んぼが余り出すようになってきよった。そんな田んぼを我輩の親父殿はせっせとかき集め、低農薬の米を作っておる。
ニンニク、酢、焼酎や、蟹殻、骨粉などの天然の農薬・肥料を使っているおかげで、手間のかからない稲作にはなっているそうだが、大した宣伝もしていないのに口コミで噂が広がり、猫の手を借りて米を作っても、作った端から売れてしまっているそうだ。親父殿が「犬の手・ネズミの手も欲しい」などとうれしい悲鳴をあげている。
というわけでここ最近の我輩は、週末になるたびに長野-富山間を往復して農作業を手伝うという有様。夏休みもくそもへったくれもないが、ちょうどいい運動になっているのか体がずいぶん引き締まり、筋肉がついてしまった。
同時進行で食堂のバイトもやっていて、バイトが終わったらその足で富山へということもよくある。我輩は日頃電車に乗っても滅多に車内でお昼寝はしなかったのだが、このスケジュールは体力面で結構ハードらしく、乗ったらすぐにおねんねという癖がついている。
それでも長野から富山まで特急を乗り継いで行っても、所要時間がと~っても長いので乗り越したことは今のところない。所要時間は富山東京間を高速バスで行ったのとほとんど変わらないくらいだったりする(^_^;
そういった休憩時間を挟んだ後に待っているのは、大量のメールと食堂のバイトである。食堂のバイトは教育実習生に夕食を出す仕事が入った影響で、ここ最近時間が延びてしまっている。
120人位の胃袋が老若男女を問わず大口さんを開けて待っているためか、バイトの時間も当初の予定から小幅ながらオーバー気味。おいしそうなにほひを発する食材を前にすると、勤労意欲を上回る空腹感が・・・・。
といったことをここ1ヶ月近く繰り返している。これを書いた今日も、食堂のバイトがあった。今日の献立は、野菜の和え物、ごはん、みそ汁、そして揚げたてのどでかいコロッケである。
我輩の好物(プロフィール参照)が目前に、しかも大量に、なおかつ香ばしいにほひをあげているため、バイト開始直後に空腹となってしまった。
それはさておき、120人分の食事を用意した後に待っているのは120人分の食器の後かたづけである。
高性能の食器洗浄機があるため幾分作業は楽なのだが、それでも仕事が一段落する頃にはかなりの汗をかいている。傍目には楽そうな仕事も、いざやってみると重労働なのだ。
そして仕事が終わり、帰るついでに余った食材を別の場所にある厨房にバンで運ぼうかとした矢先、キャンパスの入り口をみた我輩は顔面蒼白。
なんと、入り口のゲートをご丁寧にぴったりふさぐ形で車が1台止まっているではないか。駐車したタイミングが相当悪いらしく、巡回に来ていた警備会社の車も閉じこめられている。
他に出口はないか?と思い他の出入り口を探してみたら、裏口および駐車場の入り口にもご丁寧に車が栓をしておった。怒りを通り越して、あきれたデス。結局食材と車は置いていくことになり、帰宅はタクシー。次の日は車を食堂の方で使うので、回収しにいかなあかん。
教育実習が行われるこの時期、実習生の送迎だとか、実習を終えて着替えてから食堂まで夕食を食べに来るといった人たちの車が、周辺の通路を埋めているのだが、それでも前日までは車1台分の通路はあけてあった。しかし、今日は出入り口という出入り口がかの有様。
心得た足持ちならば、こんなことは絶対にしない。こんなたわけ者共が教員になるくらいなら、小・中学校なんてつぶしてしまった方がましというものだ。
実は手元に、出入り口に栓をした大たわけ者が所有する車のナンバー・車種を控えてある。そいつをここで公開しちゃおうかな~???(笑)
Rec/Mix:1999-8-27