流れもの

単純というか、変化のない作業を続けるというのは非常に退屈である。例えばNTのインストールの場合、パッケージのインストールと再起動の繰り返しだっただが、再起動が完了するまでの時間が非常に退屈であった。
食事の盛りつけも、指で数えるほどならば結構楽しいものがあるが、大人数を一気に・・・となると少々退屈に感じることもある。ま、おいしいにほひがあたりに漂っているのがたまらなく好きなので、苦痛になるということはない。


ここしばらく、教育実習から帰ってくる学生たちの胃袋を預かるというバイトをしていた。頭数にして約100人くらいだが。
献立のメニューは昼のうちに食堂のパートのお姉さん方がせっせこせっせこ作っておいてあるので、あとは盛りつけるだけ。しかし、その盛りつけには、メニューによって大変時間がかかることがある。
そんなときに限って実習生が一度に押し寄せるので、当然事前に盛りつけをある程度済ませておく。その仕事は流れ作業に近いものがあり、サラダ一つとっても、キャベツならキャベツだけ、トマトならトマトだけを手袋をはめた手で、あるいはトング(食品用の大きなピンセットと考えてくださいませ)でひたすら皿から皿へと盛っていく。
お皿も、いかにも大きな調理場という感じのする、ステンレスの大きな台にズラ~っと並んでいる。こういった所に食べ物を盛っていると、時たま食べ物が食べ物と思えなくなることもありまして・・・。をっと、ご飯は別格。
今は就職して江戸近辺にいる研究室の同期のK氏だが、在学当時は深夜にコンビニ弁当を盛りつけるバイトをしておった。
いつぞや氏が語ってくれたのだが、ベルトコンベヤー上を流れる弁当やそのおかず、弁当箱を見ていると、弁当が食べ物とはとても思えなくなるときがあったとか。
時たま、弁当箱におかずを詰め損ねてしまい、ベルト上にこぼしてしまう人もいたが、そんなときには、まーいーかということで何事もなかったかのようにササっとおかずを拾い上げて弁当箱に移し・・・というのがよくあったとか。
街で売っているコンビニ弁当の中には、そういった顛末を経てできあがったものもちょっこりあるそうだ。もっとも、弁当工場はもちろんのこと、こういった場所では作業台の上にこぼしたくらいでは衛生上全く問題ないようになっているんだろうけど。
我輩の盛りつけの際にも、細心の注意をくぐり抜けて
・種と皮に分かれてしまったが、その後手動で組み直されたトマト様
・スライスしたキュウリの中に着地されたバナナ様
が約1名様づつあったりする(^_^;
しかし実習生たちは、そんな顛末があったことなど知る由もなくおいしそうに食べていた。ごめんよう。
トマト様が種と皮に分かれたとか、バナナ様がスライスしたキュウリの上に着地された位では、食材を捨てるわけにはいけないのです。もったいないから。捨てるだけで貴重な収益様々が吹っ飛ぶから。
最近人間様の世界からは消滅しつつあるかのようにいわれている「もったいない」であるが、生きているところには生きている。
大量の食べ物に囲まれながらも、食べ物が食べ物に見えなくなるような錯覚を覚える度に「いかんいかん」と自分に渇をいれながら、今日も私はどこぞの食堂でごはんを盛る。
食材が胃袋の中で無事成仏することを願いつつ(??)
Rec:1999-7-9/Mix:1999-7-11