お日柄もよく・・・

1999年3月16日。本日は大安吉日。そいでもって卒業式。晴れの門出の日である、柄にもなくネクタイにスーツ、コートといういでたちで会場へすっ飛ぶ。
着いてみると、研究室の人たちが一部既に来ていた。記念写真を撮って、会場へはいる。(詳細は研究室のサイトにて)
会場はあらかた埋まっていて、大半がスーツか和服といったお約束のスタイルだったのだが・・・最前列を見て唖然とする一同。
コ・・・コアラぁ・・・?しかもネクタイ付き。


裃姿の人もいたし、占い師もいた・・・って、大学の職員が仮装しているではないか。長野県内では、高校を中心に、結構自由な気質というものが存在すると聞く。ニュースなどで見る高校の卒業式でも、仮装している人たちの割合が結構多い。
会場にいる人たちはこんな具合だったが、壇上だけは厳粛だった。代表が証書を受け取り、学長と学部長の簡単な挨拶があり、最後に「蛍の光」を斉唱しておわる。
そういえば、場内に「日の丸」らしきものはなかったし、「君が代」の斉唱もなかった。(正式な国旗と国歌になれるかな? 国会で審議中らしいけど)
小中高と富山で過ごしたが、必ず「日の丸」掲揚&「君が代」斉唱が行われていた。これらは式典のお約束とばかり思っていたのだが、全国でもで100%行われているのは、富山ぐらいだとか。それだけに、今回の卒業式はちと新鮮だった。
後で聞いた話だが、同じ大学でも、卒業式の進め方は大学によってまちまちなのだそうだ。服装についても、仮装禁止というところもあるとか。大学には自治権ってのがあったことをいまさらのように思い出す。
こういった小難しい話は、式の終了と共にどこかへ飛んでいった。会場から出ると、人・人・人。友人知人や後輩たちが待ちかまえていた。カメラと花束、そして酒も。
後輩からは花束が来るは、フラッシュの嵐も来るわ、1年の時にいた寮の人たちにも出会うわで、大忙しでござりまするがな。
・・・と、こういったのが30分ほど続き、ようやく一段落したかと思いきや、今度は寮の後輩たちが1升瓶を片手にやってきた。寮の方では毎年卒業式の際に、卒業生にお酒を振る舞って胴上げをするのが恒例となっている。去年は雪の中で胴上げをしにいったっけ。
と、ここで携帯が鳴る。オヤジからだ。オフクロと妹がもうそろそろ会場に来ているので、見つけ次第電話させろとのこと。手伝って~と言いたいところだが、知っているのは一人いればいいところなので、とりあえず探す。
実はオフクロと妹は昨日のうちに長野入りしていて、一緒に晩飯を食べながら合流地点の目印を教えておいたのだが、そこへ行っても2人はいなかった。いかんせん2人とも極度の方向音痴なので心配したのだが、ほどなく見つかった。機械音痴のオフクロに携帯の使い方を教え、オヤジと連絡を取ってもらう。
その間にも友人知人や後輩たちに出くわし、話をしたり写真を撮ったりしていたのだが・・・・オフクロが神妙な顔をしてやって来た。
訃報入電(ちゅど~ん)
よりによって、こんな日にそんなのアリデスカ?
というわけで、本日の予定は瞬時に総入れ替えとなる。何事もなければこのあと謝恩会と打ち上げが待っていたのだが、
み~んなキャンセルっす
研究室へ戻って書類を受け取り、昼飯を食べてすぐさま寮へとんぼ返り。特製の濃いコーヒーで酔いをさまし、3日ぐらいかけてゆっくりやっとく予定だった月末のお引っ越し関連の事務手続きを3時間少々で済ませる。
トラックの手配をしたり、電話の住所変更手続きをしたり、切符の変更(何もなければ3~4日後に実家へ行く予定だった)をしたり、お出かけの準備をしたりで、卒業式の日らしからぬ夜はあっというまに過ぎてていった。街へ繰り出した人たちの楽しそうな声も、耳元を通過するだけだった。
そして翌朝、電車に飛び乗って実家へ向かう。
卒業式も門出なら、お葬式もまた門出。門出にはドタバタがつきものなのだろうか?ようやく一息つけたのは、冬にしてはやけに静かな親不知の海辺が車窓から見えたときだった。(つづく)
Rec:1999-3-27/Mix:1999-4-6