余震(後編)

長野での打ち合わせの最中に3度の地震が起こる。自分のいた長野市内では物理的な影響はなかったが、その余波で長野から直江津経由で富山へ戻るルートが使えず、急遽宿泊。どうにかケータイで宿を押さえるまでは漕ぎ着けた。ご存知「中越地震」の日の出来事。
…ひとまずコーヒーで一息つき、部屋に入ると朝からの疲れが一気に出てきた。
真夜中、目が覚めてTVをつけると画面は特番になっていた。魚沼近辺がとんでもないことになっている。


今回の戻りルートは一旦富山の実家を経由して東京行き。しかし信越線直江津方面は被害の点検中で運行再開の目処は立っていないようだが、朝になれば何か進展があるだろう…ということで再び床につく。
朝一番でケータイの緊急パワーと新聞を買い、部屋に戻って再びTVをつけると、被害状況が刻々と明らかになっている。取材ヘリに助けを求めているようだ。
さて、JRの状況はということで、地元新聞社等のケータイサイトを見てみると、飯山線を除いて始発より運転再開。ぼやぼやしていられない。切符はまだ有効だが、一本電車を逃すとまた2時間待ちだ。
軽くシャワーを浴び、何が起こるかわからないということで多めに朝食を取り、さらに途中での非常事態に備えて食料とお茶を積み込み出発。
2時間弱程揺られて直江津に着いてみると、案内放送が賑やか。直江津付近は直接の被害を受けていなかったが、長岡から越後湯沢にかけての一帯が直撃を受けており、特急は全面運休。各駅停車も柏崎までのものと、北陸方面が動いているのみ。しかも臨時ダイヤだ。早めに席を確保したまではよいが、本当に実家まで辿り着けるか予断を許さない。
ひとまず列車は動き出した。新潟のローカル局や新聞社のケータイサイトで情報を集めようとはしたが、どうも乾電池の電力では昨今の機種を動かすには力が足りないらしく、途中2度程電圧降下でケータイがダウン。その機種には対応しているとの表示はあったが、どうも怪しい。こういうときには、電池のもちといい、電波の粘りといい、AMラジオが一番強いようだ。
新潟から遠ざかるにつれ、何事もなかったかのように乗客が乗り込んでくる。大多数にとってその日はごく普通の日曜日。
実際に経験してみないことには、身近に感じるのは難しいのかもしれない。
2時間半近くゆられて、ようやく富山に着いた。妹が迎えに来ていたが、かなり心配していた様子。最初に無事との連絡は入れておいたが、それだけでは不十分だったのだろうか。まあよい。
実家で遅めの昼食のあと一休みし、夕刻富山空港から空路帰京。地震の影響で東京方面は列車も、高速バスも当然運休。陸路で東京へ戻るには、米原・名古屋経由の大回りしか残っていない。沖縄在留時代に溜まったマイレージの処分も兼ねて、東京と実家の往復を事前に空路で予約しておいたのが幸いした格好になる。
1時間のフライトの後、羽田空港に到着。いつもならそのまま自宅へ直行するが、今回は少々寄り道してポケットサイズのAMラジオを購入。手持ちのMP3プレイヤーにFMラジオは付いているのだが、受信感度が今ひとつで移動中の受信は困難といってもよい。ケータイも十分情報収集には役に立ったのだが、意外と電池の持ち時間が短かった。コンビニで緊急パワーを買ってみたまでは良かったが、充電はおろか通常の使用にも電力供給が追いついていない。これには参った。
比較的電池の持ち時間が長いタイプのラジオを選んだ。いざというときには乾電池も使える。使うときはAMの受信がメインになるだろうから、モノラル音声で支障なし。
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ラジオ本体には予め各地の周波数が登録されているようだが、ケータイ版の全国ラジオ周波数表( http://homepage3.nifty.com/tuner/mobile/ )も別途見つけておいた。東京~長野/松本~北陸方面を飛び回ることもまだありそうなのでこういうものがあると、非常に助かる。
これだけでは心許ない。食料の備蓄を厚くしておくのと、手回し発電式の懐中電灯を手配せねば。通販のカタログで何度となく目にしており、気にはなっていたのだが。
自宅に戻ってみると、土日分の新聞が溜まっていた。
見ると、地震の影響で上越新幹線が脱線したという。死傷者がいなかったのは不幸中の幸いと言う他ない。
脱線の様子だが、高速で走っていた割にはかなり「綺麗な」脱線の仕方のような気がする。
真っ先に思い出したのは、数年程前に起こった仏TGVの脱線だ。あれは確か、さきの大戦時の塹壕が原因で地面が陥没していた所へ車輌が高速で突っ込み、TGVは一部脱線したものの無事線路内で停止した…というものだったか。
対する独ICEの脱線事故では宜しく、先頭車両だけが黙々と走り続ける一方で後続は藻屑…といった惨事には至らなかったようだ。
しかし陸路で北陸へ向かうルートが暫く使えないのは、別の意味で痛いのだが。