編集長が走る(9) ~1997年12月:復活~

10ヶ月近くに渡って編集長として製作に携わってきた情報誌の発行も、12月の発行で予定していた通常版は終了した。12月の頭に総まとめを終え、そろそろ新編集長への引き継ぎ資料なんぞを作り始めようかとしていた。
この年は長野オリンピックに伴う変則学事日程に伴い、年末から期末試験が行われることが決まっており、もうそろそろ試験の日程も発表されようかとしておった。ということもあって、編集ルームの隣の生協事務所では、卒業生向けセールのチラシなどの製作にとりかかっていた。


一方、編集ルームの方はというと・・・暇をもてあましている者が数名。最後の仕事として、来年度新しく長野市内のキャンパスにやってくる学生へ向けたタウンガイドの製作が残っているのだが、変則学事日程のおかげで間が空いてしまっているのだった。
オリンピックの間長野市内は各地で交通規制が敷かれるため、既にタウンガイドの編集長を決めて構想を練っていてもおかしくない頃のような気もしたが、今のところ目立った動きはない。というわけで私も資料の整頓の合間に隣の生協事務所の職員の皆さんと雑談。
そんな中で突如企画が持ち上がった。12月初旬のことである。
毎年生協事務所では卒業生向けチラシ自体をどうやって目立たせるかに腐心していたらしい。今年もこのことが問題になっており、私にも冗談交じりで相談があった。そこで私がぽろっと口を滑らせたことから編集長復活となろうとは・・・。
そこで出したこと。それは「チラシをこれまで発行してきた情報誌の『別冊』という形で発行する」というものである。情報誌のブランド名をつかってチラシの存在をアピールしてみようという試みでもある。
このことは生協事務所の方々に「画期的」と写ったらしく(実際、初めてのことだったらしい)、早速「やってみよう」ということになった。
「言い出しっぺが担当する」原則にのっとり、いや、原則を出すまでもなく年度いっぱいは編集長でもある私がまとめ役となる。これより地獄突入。
・・・というのも、製作に回ることのできる人手が極端に少なかったりするのだ。3月に一度3人でミニ情報誌を作ったのだが、それ以来の極少人数での製作。試験も間近にせまり、そんなに時間をかけるわけにはいかない。
一応製作には3人かかわったことになっているが、ネタの収集(生協事務室のほうで連絡をとってもらい、キャンパス内の各店舗を何度も回って取材)と原稿の作成等は事実上一人で全部やってしまい、印刷と製本のほうは自分で作業をやりつつ他の2人をこき使い、学部事務局の製本機も動員というありさまである。
そういう無茶苦茶な製作課程を経たおかげで12月の中頃にはもう発行にこぎ着けてしまった。印刷部数の方は通常版よりも少々多めの1200部。実際の所、部数については生協事務所のアドバイスで普段の売れ行きは全く無視し、卒業生の人数にあわせた。はたして無事売れるのか・・・? と思っていたらほとんどはけてしまったらしい。
反響は卒業生のみにとどまらず、全国各地の生協関係者からも注目を集めてしまったという話が生協事務所を通じて入ってきていた。
そういうことが背景にあったのかどうかは知らないが、「別冊」の原稿が入っている袋には、普段編集スタッフから「専務」と呼ばれ親しまれている生協の御頭直筆の「よくできました(はなまる付き)」カードが張り付けられている。私の記憶が確かならば、編集ルームにまだ保管されているはずだ。
豆データファイル
冊子の名称:別冊まほろば 卒業・新生活応援特集
冊子の総ページ数:8P
目玉記事:卒業生向け情報
自分で担当したページ:ほとんど全部(7P半)
発行日:December,17/1997
発行部数:1200
Rec/Mix:2000-10-15