Tightrope walking

夜、ケータイの着信ランプに気がつく。夕刻に妹からメールが入っていたようだ。
文面は実家親戚筋での死産を告げる内容。電話をかけてみると今日が葬儀で、線香をあげてきたところだ…という。
参列した親父は棺の中も拝んできたが、先日送られてきた元気な孫娘とさほど変わらぬ姿が動くことなく横たわっていることがさすがにこたえたとみえる。
受話器の向こうからはかける言葉が見当たらない重苦しさが伝わってきた。

統計上は一定の確率で起こると何度となく聞かされてきた死産流産だが、いざ起こってみると割り切りづらいものがある。


薄氷または綱渡りにも似たお産の現場を多少なりとも見てきたからだろうか。
その場所がriskyな妊婦の集まる病院だったことを差し引いても誰もが命懸けの修羅場というには十分な材料が揃っていた。

いまは体内で始まりと終わりを迎えた8ヶ月の一生を偲んで缶を一本開けてやること以外に出来そうなことが思い浮かばない。