燃える罠からの脱出(前編)

雨の日の電車は、傘の分だけ荷物がかさばるのか同じ時間帯でも少々混んででいる。進むペースも心なしかゆっくりしており、駅の間で減速、停車することもよくある。乗り降りに時間が掛かって先をゆく列車が詰まることもあれば、急病人が出たり、ドアに荷物が挟まって止まることもよくある。
とある雨の日、いつものように出勤すべく列車に乗り、途中駅でトイレに駆け込んで戻ってみると、いつもの雨の日と同様に混み具合に拍車がかかっていた。


その駅を発車して暫く走りると、列車は国分寺駅の手前で止まった。いつものように先で列車が詰まっているかと思いきや、数分経過後にいきなり車中の明かりが消え、非常灯だけとなった。これは珍しい。案内ディスプレイも落ち、空調も停止。非常放送の電源は生きていたのか、車輌火災であるとの案内放送があった。不思議と混乱の起こる気配がないところをみると今乗り合わせている列車での火災ではないようだが、ひとまず仕事場に遅れるとの一報。
そこからがお立会い。ただでさえ込み合う電車に、傘の滴と乗客の体温が混ざり合って湿気がたまってゆく。サウナほどではないが、普段空調を効かせても湿りがちの重くなる空気は、半ば密閉された車中にあっては窓を全開としても結構な体感温度となるまでにそう時間はかからなかった。窓は開くようになっているが、開いても隙間風が通る程度なので焼け石に水である。
その間にも、準備が整い次第線路沿いに最寄り駅まで誘導するとの放送はあったが、余程の混乱があったのかそのまま30分近く缶詰は続く。その頃までには当初の「車輌火災」は「沿線の変電所火災」と訂正されてはいたが、いずれにせよ車外でただならない事態が起こっていることは容易に想像できた。
ただならぬ物音がしたかと思えば、目の前で脂汗をかいた方々が次々と倒れていく。手馴れているのかはわからないが、周囲の方々が即座に応急処置にあたっていた。程なく担架が到着し、車外へ運び出された。
車外に脱出できたのは、停止から40分少々が経過した後のことである。倒れた方が運び出された扉が、そのまま脱出口となった。が、扉の先は1メートル近くの段差であり、足下は石が敷き詰められており不安定。梯子の類などあるはずもない。最初に脱出した方が、そのまま後続の車外脱出の手助けに回る、といった図式で乗客は少しづつ降りていった。
この時点で既に9時半くらいにはなっている。そのまま順調に行けたとしても仕事場への到着はあと1時間強はかかる。慌てても致し方ないとばかり、車内の混雑が落ち着くまでの間は空いた座席に座って暫し休憩。
そのそばから担架を抱えた駅員が走り回っていたが、その駅員に誘導しろと怒鳴り散らす輩も約一名。非常時というやつは人となりを炙り出す作用もあるらしい。
列車が止まった位置から国分寺の駅までには少々距離がある。そこを乗客が歩いていくのだが、救護対応で手一杯なのか誘導の類はなかった。そのため、国分寺の駅付近を併走する西武線にも徒歩で移動する乗客が接近することがあり、西武線の列車が駅に出入りする度にひっきりなしの警笛が鳴り響く。
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足下を確かめつつ5分ほど線路をゆっくり歩くと、国分寺駅が見えてきた。駅ホームの手前にやたら人の流れが滞っている箇所があったが、ホームに上がる階段が人一人通ることができるかできないか、の幅しかなかったためである。通常は使わない階段が広いはずがない。ホーム脇の線路は全て、列車で埋まっていた。
駅のホームに上ると、煙こそ見えないものの、消防車の灯りの中からきな臭い香りが漂ってきた。位置からして、変電所もしくは隣のマンションあたりとなるが、少々危険な香りも漂っており、見物もそこそこにコンコースへ上がる…とコンコースは一部で入場規制がかかるほどの混乱ぶりとなっていた。(つづく)