余震(前編)

その日は朝から酷い一日だった。
長野市内で打ち合わせがあり、昼食+若干の余裕を持たせて9時代の特急を富山駅で待っていた。しかし時間になっても一向に列車が来る気配がない。どうしたものか。
暫くすると、放送があった。少し前に目の前を通り過ぎていった貨物列車が人身事故に遭い、その煽りで上下線とも不通。乗ろうとしていた列車もその煽りで一つ手前の駅で足止めを喰らっているという。軽く30分は遅れる見込みということで時刻を調べてみると、乗換予定の列車には到底間に合わないばかりか、次の長野行きの列車は2時間待ち…冗談もいいところだ。ニュースによると、踏切を無理に渡ろうとした車が事故の原因だという。冗談もいいところだ。


早速相手方に遅れるとの一方を入れたはいいが、その間も時間だけは過ぎる。この駅始発の各駅停車途中駅止まりが先に出ていった。
定刻から40分は過ぎたかという頃になって漸く列車がやってきた。この遅れにより直江津駅での乗換2時間待ち確定。列車内で書類の確認をしているともう直江津…だったが、長野行きの列車は入線すらしていない。
時刻を確認し一旦改札の外へ出て弁当を買う。どうせならということで、直江津港で水揚げされた鱈が入っているというものを買う。ゆっくり弁当を食べても、まだ時間が余ってしまったが…。
ようやく長野行きの列車が入線。待ちかまえていた客が一斉に乗り込み、座席はあっという間に埋まった。長野までは約1時間半。座席を確保しておかねば目も当てられない。
車中で一休み…といきたかったが、途中から高校生らしき集団が大挙して乗り込み、一気に騒がしくなった。座席も近距離仕様で長時間座っているには向かず、かえって疲れが増した…かもしれない。まあ、この列車に関しては特に問題なく長野に着いたからよしとしておくべきか。
打ち合わせの方は、比較的順調に進んでいたが、夕刻、その最中のことだった。2回程、大きく横に揺れた。
建物自体が割と頑丈な作りだったこともあってか、物が倒れたり、落ちたりといったことはなかったようだ。様子をうかがっていたのか、そうする迄もないと思われたのか、机の下に隠れる方はいなかった。
それから30分程後、顔合わせと打ち上げを兼ねて近くへ飲みに行ったところ、また揺れた。
店がビルの10階にあったためか、揺れの振幅は先の比ではなかった。その時は丁度お疲れ様の乾杯をしたばかりだったのだが、幸いにもお酒はこぼれなかった。しかし、外はとんでもないことになっていたようだ。
ケータイの様子がおかしい。地震の様子を心配するメールが妹から届き、返信を打とうとしたが、繋がりやすいとされている筈のメールすら、繋がりにくい。災害時の通例として、恐らく交換機の方で規制をかけている…とすると、10分ぐらい待ってもいいかもしれないと判断し、少し酒を飲んでからメールを送り直すと、今度は届いた。
長野市内に関しては物理的な問題は無かったようだ。時間が経つにつれ、外の状況は悪化の一途を辿る一方。
長野新幹線は程なく復旧したため、東京に戻れないという最悪の事態は避けられたが、在来線はすぐには運転再開とまではいかないようだ。今回は一旦富山の実家へ寄って長野に入っている。戻りもその逆順の予定だったが、実家へ戻るタイムリミットまでには間に合わない…と判断し、泊まる事にした。折悪しく長野市内で学会が開かれており、ホテルはかなり埋まっていたが、タッチの差で残っていた最後の1部屋を確保できたのは幸いだった。ケータイ様々。
こうなったら…ということでもないが、「軽めに飲む」予定は「普通に飲む」に切り替わる。忙中閑あり。
しかし問題はまだあった。朝からかなりケータイを使ってしまったこともあり、電池の残りゲージはあと1つ。日帰りの予定でいたため、充電器は置いてきている。明日は出発前に緊急パワーを買っておいた方がよさそうだ。勝手知ったる長野駅前…でなくとも、電池くらいは手に入るだろう。
とりあえず、コーヒーを飲みに行くとしよう。翌朝は信越線の直江津方面行きが動いていればよいのだが。