編集長が走る(1) ~1997年3月:誕生~

事の始まりは1997年3月にまで遡る。主に冊子の編集に携わる某集団に突撃アポなし訪問(古っ)をかけたのがこの先の出来事を決める重要な要素になろうとは・・・・・
とある所に殴り込みをかけたことが引き金となり、しばらく後、その集団で作っている冊子に次年度編集長になってしまった。人手不足という背景はあったらしいが、とんでもないことになってしまったもんだ。
そして今、どういうわけだか熱海にいる。早朝1番列車に飛び乗り、碓氷峠を越え、高崎駅でそばを流し込み、上野・東京で人波をかき分け、2階建て車両の2階から海を眺めていたらもう熱海である。


あの殴り込みから2ヶ月後、修行と称して熱海で行われる研修に伴の者約1名と共に放り込まれてしまった。どんなことをしてもOKというのがこれまた恐ろしい。部屋で1日中寝ているのもいいらしい。現に初日の夜は旅の疲れもあって夕方には仲良く(?)ばたんきゅう。晩飯食い忘れた(^_^;;。
本格的に動き出すのは翌朝から。なにをやろうか全~然考えてなかったので、面白そうな所を探す。そのうちに伴の者約一名は缶境問題にとりくむとかいうことでどっかへ行ってしまった。Yes!
しばらくあたりを見ていると、面白そうな奴からくそ真面目なものまでいろいろな集団ができあがっていた。ホテルの大宴会場を埋めてしまうくらいの人が集まれば、それなりの数の同類項は自ずと集まる。全国各地の方言やじゃんけんの仕方を会場に来た人たちから直接聞きだしてみようというものから、売店もどきをやってしまおうというところまでさまざまなものがあった。そういえば、その中に約一名、イラストレーターを集めてカット集を作ろうとしたものの、誰も指に止まらなかったといういとあはれな男がいたことを私は知っている。
それだけたくさんの企画集団あったので、ぶ~らぶらしていると程なく面白そうなところが見つかった。犬も歩けば棒に当たる。全国各地から集まった初対面の人たちが行き当たりばったりで情報誌(もどき)を作ろうという企画である。声をかけてみたところすんなり入れた。初対面の人相手によくそんなことができたのぉ、当時の俺様。
さて、集まった顔ぶれというと、情報誌を作った経験がある人だとか、私同様修行と称して放り込まれたひとだとか、軽いのりの人やら堅そうなな人が計15~6名。その時点では研修が終わるまでに二日半あった(はず)ので、早速企画&編集会議らしきことに移る。経験のある人の中からまとめ役(事実上の編集長)を選び、冊子の内容とその方針などを練り上げていった。
大まかな方針が決まったとはいえ「みんなで仲良く協力して」だとか「各自の持ち味を生かして」だとか細かいところでの対立っちうかそういうやつは残っていた。しかしそういうもののほとんどは不思議なことに「いいもの(冊子・記事)を作ろう」という高いところでまとまってしまう。期限が迫ると、人間ってオーラが出るのか? 殴り合いの喧嘩の後に友情が芽生えるとでもたとえたらいいのだろうか、対立の結末は驚くほどあっさりとしたすがすがしいものであった。
早速制作に入り、研修に来ていた人たち(編集メンバー以外の人たちアルね)にインタビューをするなど取材に出る。その日の夜からもう半分ほど徹夜状態になった。切り張りと手書きでできた原稿は回し読みと誤字脱字の簡単なチェックを通したあと、次々とマスター(版の素といったところか)になっていった。うろ覚えの製版技術(?)がいきなり役に立ってしまった。
そんな展開に地に潜むナマズ様はびっくりされたのか、たびたび震えられた。取材の真っ最中にも何度か大きな揺れが建物をおそいましてなぁ。でもそこは転んでもただでは起きない面々が集まっていたので、急遽紙面をやりくりして今起こっている地震についてのページを作ったりしていた。地震のネタを仕入れにあちこち走り回ったっけなぁ。
そうしてできあがった冊子の名はすんなりと「JAM」に決まった。メンバーの中の一人、某群○県の大学から来た奴が「『ジャム』っていうとさぁー、イチゴジャムとかってあるだろ。こんな感じで話するんだよォ。」といったことが名前の由来になっているかどうかは定かではない。
最終日、あちこちからかき集めた紙をやりくりし、研修の事務局に無理を言って占領させてもらった印刷機をフル稼働させて印刷にはいる。メンバー全員による製本を経て最後の閉会式すこしまえになんとか完成。お披露目となった。刷った150部は無事完売。めでたしめでたし。
かくして研修は終了し、再び延々と普通列車を乗り継いで(熱海→東京→上野→高崎→長野)帰ってきたのであります。編集長としての本格的な始動はこの後すぐ。(つづく)
・・・あれれのれ? 缶境問題にとりくむとかいうことでどっかへ行ってしまった伴の者約一名はどこへ行ったのだ・・・・・???
豆データファイル
冊子の名称:JAM
冊子の総ページ数:12P
自分で担当したページ:2P
発行日:March/1997
発行部数:150(←私の記憶が確かならば)
Rec/Mix:2000-08-16