生家はあばら屋

もともと、「館」はあばら屋・ぼろ家のことを指していたらしい。
私の生家は富山県中新川郡立山町の山すそにある。確か、学術的には河岸段丘とか言ったかなぁ、という場所にある。近所の崖っぷちからは砂利が顔をのぞかせている。太古の昔は、常願寺川という大きな川の河原だったそうだ。
現在その常願寺川は、車で15分位の、生家から10メートルも下の位置を流れている。明治初期に来日したオランダ人技師、デ・レーケを「これは川ではない。滝だ!」と言わしめたその川は、洪水を起こす度に大地を削り、川筋を変えている。おかげで生家からはだいぶ離れていってしまわれた。


その常願時川によって作られた高台は、見晴らしは良好。海と山を同時に望むことができ、お天気次第では能登半島が顔をのぞかせる。飛び込んでくるのは、景観だけにはとどまらず、石川県内のTV電波も飛び込んでくる。北のあたりからも妙な電波がガンガン飛んできており、AMラジオは夜間使い物にならない。(テレビの副音声にラジオを流したり、AMラジオのFM中継局を作って対応しているとか)
そんな場所にある生家はあばら家で、土台には河原に転がっているような、大きめの石がそのまま使用されている。この辺りでは7~8年くらい前から新築・改築された家が目立つようになったが、生家は細かい手直しこそあるものの、建築当初以来の姿を保っている。
すきま風が吹き込むこともある生家は、梁だけはとてつもなく太い。柱よりも太い。今ではよほどのお大尽の邸宅でもない限り、太い梁は拝めなくなっているそうだ。そんな生家の大広間には「五分前」という年季の入った額縁がある。
この家はかなりの年期が入っているらしく、軒下には蜂の巣がいくらかぶら下がっている。聞いた話では、築100年を軽く越すとか。最近床が抜けそうになってきたので、床を張り替えた。その際に古いいろりのようなものが発見された。はたまた掘り炬燵の跡? このほかにも、はっきりといろりの跡とわかる部屋もあったりする。屋根裏部屋には、機織り機が眠っていた。もっと探せば骨董品が出てくるかも・・・?
お風呂場入り口にはなんと、「竜ヶ浜温泉」という看板がある。五右衛門風呂(薪を焚いて沸かす風呂)はあるが、温泉ではない。自転車で5分ほどの所に「竜が浜荘」という老人ホームがあるのだが、この辺はその昔「竜が浜」と呼ばれていたのだろうか?
裏手へ廻ると、年期の入った蔵と、最近建った倉庫がある。小さなクレーン付きなのだが、いったい何に使うのだろう?そう言えば、倉庫の中には巨大な冷蔵庫もあった。
最近聞いた話だが、実家はそのあたりを一番最初に開拓した一族の末裔だとか。そのせいか、代々変わり者が多いという。いや、当方はむしろまともで、変わっているのは人を「変わり者」と呼ぶ方なのかもしれない。
Rec/Mix:1999-05-28