あれから1年

今日は2月7日。上空でヘリが騒いでいる。そういえば、あの日も上空でヘリがバンバラバラバラ騒いでいたナァ・・・・
一年前の今日も晴れていた。この日はちょうど長野オリンピックの開会式。友人から電話があったので外へ出てみると、近くの大通りには人だかりが出来始めていた。お嬢さん(みのもんた氏風)たちと、全国から呼び集められた警官が多数。
しばらくすると、前かごや後ろの荷台に物をたくさん積んだ自転車がやって来た。そして自転車からおじさんが降りてきて、おもむろにかごからなにやら取り出して配り出す。


日の丸の小旗だった。この警官の多さからして、ただごとではない。通るのは皇室関係者、しかも天皇皇后皇太子クラスの人に違ぇねぇ。
ほどなく、先導役のパトカーが数台通り過ぎ、続いて露払い役のIOC重役の車が通り過ぎ、そして大勢の人を従えてメインの車がやって来た。ちょうどマラソン中継のときに、疾走する選手の横を自転車でついてくる人たちのような感じだ。
そして歓声が一気にあがる。車中から天皇・皇后両陛下が窓ごしに笑顔をふりまいて手をふっているではないか。年輩の人たちを中心に騒がしかったのは、このためだったのだ。
しっかし、私の記憶が確かならば、両陛下の「御」車の窓は開いていたはずだが、安全や警備の方は大丈夫だったのだろうか? それと、沿道の後にも先にもずら~っと人だかりができていたのだが、両陛下はその人たちに向けて常に笑顔を振りまき、手を振り続けていたことになりゃしない?
この頃は朝から晩まで大騒ぎの連続だった。コギャルどもが「キムタクが来る!」などと騒いで長野駅で混乱が起こったり、どっかの元町議が自分の息子のために、開通したばかりの新幹線の建設差し止めの裁判を何度も懲りずに起こしたりなど、ろくなことがない。街中も、表彰式会場となった「駐車場」のあたりを中心に身動きがとれなかった。そういえば、「お嬢さん」と話すことを覚えたのもこのころだったような気がする。
というわけでオリンピック期間中の大半は、実家に帰ってのんびりテレビ観戦としゃれ込んでいました♪。感動を呼んだと言われている原田選手の計測不能級の大ジャンプも、山一つ隔てた北陸の某県では、落ち着いた目で見られていたっけ。
さてと、連日長野市内が江戸の平日並に騒がしくなった当時からはや1年。街はほとんどいつもの「善光寺さんの門前町」にもどっている。今日は往時をしのんで街のど真ん中にある、ステージ付きの駐車場で記念イベントが行われる。「オリンピックカップ」の授与も行われるそうだ。
この「オリンピックカップ」は、オリンピックを開催した都市の大部分に贈られる。なぜ大部分なのかというと、あまりにもお粗末なオリンピック運営を行った都市(例えば、期間中に交通渋滞や通信回線のトラブルなどが多発したアトランタ)には贈られていなかったりするからだ。
いよいよイベントが始まる。おおお~、来るわ来るわお偉いさんたち。主な方々は・・・・
・IOCののパル・シュミット副会長
・IOCのホドラー理事(スキー競技のスタート地点問題の火付け役?)
・IOCの猪谷理事(海外では、お金を積んでも絶対動かないとして評判)
・JOCの古橋広之進会長(フジヤマのトビウオ)
などなど、蒼々たる面々である。そして忘れちゃいけない紀宮様。こういった行事には皇室抜きには行えない・・・のかなぁ?
会場をざっと見回してみると、結構人が入っている。このにぎわいは、オリンピック期間中以来だろうか。ただ、当時と少々違うのは、最前列の方に何やらごろうちゃん(ミズスマシ発言などで有名な、吉村長野県知事の愛称・・・・らしい)へ当てたメッセージを書いた帽子をかぶった人たちがぽつりぽつりといるということ。ソルトレークに始まった招致疑惑も相まって、会場はちょっと物騒である。手荷物検査も厳しいの何の。
オリンピックカップの授与に先立って、パル・シュミット副会長のスピーチがあったのだが、その真っ最中に起こるブーイング。その声をあげた右翼風の男は、即座につまみ出された。やるんなら、話の前か後にしましょうね~♪
でも、そんな物騒な雰囲気も堅っ苦しい式典の終了と共にどっかへ行った。オリンピック競技のダイジェストが会場内のスクリーンに映し出され、それを荻原(弟)&地元局アナのコンビがトークを交えて解説する。当時の裏話なども交えたトークに、どっと沸く場内。やっぱり今でも人々の記憶に新しい「コザック」と「原田スマイル」。
生のトークを聞きながら、すぐ近くでオリンピックやってたのに実家に帰ったのはちょっくらもったいなかったかな~などと思ったりする。またやんね~かナァ・・・。この手のバカ騒ぎ。
このイベントにあわせて、通り沿いに小学生が作った一筆書きの電飾が飾られていた。行き帰りにざっと眺めてみたのだが、やっぱり多かった、「コザック」と「ジャンプ」ネタの一筆書き。
オリンピックや、縁の下のボランティアの存在が忘れられても、「コザック」と原田選手の「大ジャンプ」は当分の間記憶に残っているのではないだろうか? そんな気がした1日だった。
Rec:1999-2-7/Mix:1999-2-10