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途中寄り道で黒ネクタイを調達しつつ、実家には納棺1時間前に到着。
着替えを終えて仏間に向かうと、丁度納棺の準備が始まった。葬儀屋が機材や祭壇を準備する一方で、お寺さんも到着。病院に担ぎ込まれたいつもの住職に変わり、納棺の読経は若い尼さんが受け持つ。数年前から助手として葬儀の場に出向くこともあったという話だが、期せずして今回がデビュー戦と相成った。
「なんとかなるでしょう」
玄関先での葬儀屋との会話が聞こえてきた。気合いは十分。親族一同、余り心配はしていない様子。


その言葉の通り、納棺は滞りなく終わった。
納棺以降は数年前にできたホールでのに場所を移し、先日病院に担ぎ込まれた住職の代打として親戚筋にあたる寺の住職の読経によりお通夜が行われる。
お通夜の後の説法は少々難しかったが、西と東の葬儀のカルチャーギャップのあたりはよくわかった。亡くなった方はその時点で仏の弟子となるので、帰宅時の塩も、骨揚げ時の箸も不要、という考え方もあるらしい。これは目から鱗。

明くる朝、命日当日より不寝番を続ける親父殿と交代で控え室での応対にあたりつつ、葬儀本番を待つ。
十数年前に死んだ爺様の時と異なり、予め祭壇が作り付けられたホールでの葬儀のため、準備らしい準備はこれといってない。会場のセッティングは粗方業者の手によって進められる。せいぜいで、葬儀本番後の会食の席次決めと、事後の香典集計表作りくらいだ。程なく仮眠から戻ってきた親父殿も、弔電の整理が終わったところで親戚筋の応対に回り、事務諸々は親族内で「葬儀委員長」に指名された叔父が淡々と進める。
比較的長めのゆっくりとした、午前中丸々休息の後、葬儀本番。そこから先は随分と慌ただしい。
昨日のお通夜に引き続き、代打としてやってきた寺の住職による読経のもと、葬儀が行われる。十数年前の爺様の葬儀の際は、参列者全員にお経のカンペが配られていたような気もするが、ホールで行われる場合はそういうものはないようだ。
葬儀の後、バス等に分乗して斎場に向かい、婆様は「ありがたいお骨」となった。
当地の習慣に従い、焼き上がるまでの間に初七日の法要も行われる。代打で来ていた住職は、昼飯もそこそこに次の葬儀の応援に向かっていった。相次ぐ天候の急変が作用したのかは定かでないが、この日はやたらと葬儀が相次いでいるという話。
当日は猛暑日であったが、会場はこれでもかという位に空調が効いており蒸し暑さ知らず。礼服にクールビズはないに等しいので、これはありがたい。夏用に風通しのよい礼服もあるようなので、検討はしておくべきか。取り急ぎ風通しのよい黒ネクタイは購入しておいたが。
初七日の法要と会食の後、再び斎場に戻る。丁度焼き上がる頃合いだ。
お通夜の際の説法に従い、皆手づかみで骨を拾っていた。
お骨共々帰宅後、尼さんの読経により一連の葬儀は終了。その後の香典の集計も含めて一通りの終了をみた。勘定が一発できれいにまとまるというのも珍しい、というのは元銀行員の叔父の談。
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作業完了後、精進落として一同で寿司を食べつつ一杯。ここでも娘がうまい具合に場を和ませたのかは定かでないが話の中心は亡くなった当人よりも、各所の孫や、まだ生まれてもいない2人目など、子供の話が大勢を占める。
ありがちな悲痛沈痛の類が顕在化していないためか、どうも葬式という感触がしない。
軒先に送り火代わりの蛍の灯りが静かに灯っていた。