Que sera sera

朝イチに親父殿の元に入電。容態急変の報だった。
朝飯もそこそこに親父、嫁、娘共々年寄りのいる特養ホームに向かうと…年寄りは10分前に叔母に看取られて息を引き取ったところであった。

実家に到着した翌日は頃合いをみて見舞いに行こう、という話を親父殿としていたばかりだったが、そんなオチはありかという気すらする事態。話は迎えにいくとはいうが、こういうお迎えに繋がろうとは少なくとも親族筋では誰も予想していない。


落ち込んでもいられないし、不思議とそういう気すら起こらない。数え90ともなればさもありなん。
立ち会っていただいた医師を見送ったところで早速親父殿は兄弟姉妹筋に電話を入れる。実家には私から電話を入れ、親父殿と叔母を残して一足先に帰宅。
年寄りの状態からそれなりの心の準備があったとはいえ、当初の予定よりもかなり急速なペースで実家のお片付けが始まった。折しも梅雨末期を思わせる大雨が訪れ、その勢いは軒先の雨樋で受けきれずに溢れる箇所が出る程だ。
車庫や自宅前の車は近くの農作業小屋付近へ移動させ、続けて仏間に続く障子戸や接客用以外の家財は車庫に退避。大雨で外から車庫に運び込めないため、少々狭めの勝手口から順次車庫に待避。一通り片付いたところで掃除機をかけつつ、押し入れから座布団を運び出してカバーをかけ直す。
これでひとまず納棺の準備は整った。
親父殿の電話連絡から1時間程が経過すると、親戚筋が続々と集結。そこへ年寄りと親父殿、叔母が葬儀屋の車で到着した。葬儀屋による年寄り安置の準備の傍らで早速葬儀に向けた話が始まったが、こういう話は大概がパッケージ化されており、代々世話になっている街の葬儀屋との話は葬儀の進め方や会場、人数が大枠でまとまればあとは菩提寺の日程次第という代物であるためあっという間に話がまとまってしまった。仏間の片付けと年寄りの安置が終わってしまうと、日中は親父殿が弔問を受けるのが殆どとなる。
…ということで昼寝前のぐずりが始まった娘の気晴らしも兼ねて散髪に出ることにした。いつもは土日のどこかで自前バリカンで済ませてしまうが、こういう時ばかりは専門業者のもとできっちりと仕上げておく必要がある。
車を走らせて高校時代以来行きつけの理髪店に向かうと、移動中の車内で娘はお昼寝に突入。最近投入したばかりの親父殿の新車は余程寝心地の相性がよかったとみえる。ターボ車の乗り心地をよいと感じるあたり、大した娘だ。
この夏のご時世に合わせて側面と後部を店のバリカンで最も短くできるところまで刈り込んでもらったところ、地肌がけっこうかぶれていることが判明。節電に伴う熱波で蒸れつづけたのかは定かでないが、皮膚が弱ってきているらしい。これにより帰京後の皮膚科行きは確定。

消防カットっぽい短さまで刈り込んでもらったところで帰宅すると、葬儀の話は既にまとまり、親父殿が申込書の類を書く一方で、伯母と叔母とお袋様が賄いの仕込みを始めていた。
急激な気温の変化が災いしたのか菩提寺の檀家で葬式の申込みが重なったため、納棺とお通夜は明後日、葬儀は明明後日に決定。
折悪しくこの日に住職様が急病で病院に担ぎ込まれたという話も入っており、今回の葬儀は一筋縄ではいかなさそうな気配。
当初の見込み以上に暑くなってきたようだ。仕事場にも休む旨一報を入れておかねば。