ブランデーとジンジャーエール

年の瀬も押し迫りったのだがブランデー+ジンジャーエールの割ったモノを飲みつつ今宵も呑気に雑文書き。那覇市某所でブランデーの変わった飲み方は無いモノかと話をしていたら、某料理店ではないが某やる気満々だぜ青年風の兄さんから教えてもらった代物である。
ここ琉球ではジンジャーエールがなかなか売っていないということで試しにコーラで割ってみたら、コーラでは強すぎた。だはは。ブランデーの香りがしない。コーラの友はラム酒だったか。いずれ( http://whitewing.bitter.jp/faq/bar.cgi)の何処かに入れておくと致そう。


年の瀬の大仕事(どこがじゃ)も一段落つき、部屋と荷物の整頓も一通り終了。元から荷物は少ない方らしい故大掃除と言えるかどうかは定かではない。いま大掃除を敢行したとて半年後にはいやでも部屋ごときれいさっぱり大掃除。
思えばこの2002年という年、一言で言うと大どんでん返しの年であったかと。
街の方ではW杯やチョナン・カンを契機とする空前の韓国ブームが起こり、また始まりを同じくして成田空港にも2本目の滑走路ができた。KOREA方面といえば拉致被害者の一部帰国実現も大きい。
2002年を表す1文字が「帰」となったが、ようやく使節のやりとりのあった有史の頃へのどこでもドアが開いたかもしれん・・・と思いきや核の切り札で今度は灰燼に帰す瀬戸際に来ているが・・・。
第2の故郷信州でも国内初の出来事があった。田中康夫県知事が県議会の不信任決議を受けて失職を選択。出直し選挙の結果を待つまでもなく2位以下に圧勝し、結果県議会の最大会派が解散となった。どう見ても議会サイドの独り相撲としか思えぬ出来事であった。いや独り相撲ではなくおままごとだったのかもしれぬ。議会側が推し、次点ながら惨敗した候補の目印は鍋他調理器具だった事を知る者は今は僅かである。歴史に残る轢死。
ここ沖縄でも選挙関連の問題が起こったのだが詳細は地元報道機関のサイトにて適宜検索していただくとして、某ニュースキャスターの「市に昇格しても実体は村のまま」というコメントは切れ味抜群だった。様々な意味で記憶に残る。
さて、今年は身の回りでもどんでん返しがあり中でも最大のイベントと言えば小生のあばら屋の琉球移転であろう。青天の霹靂の如く話が持ち上がり、2週間で生活パターンが大きく変わった。ここ数年続いていた平日本業休日D○SH村もどきから大きく離れ、昼夜逆転再逆転・カレンダー完全無視の生活となった。
この琉球国、某所からはグアム並の遠さであり、本土より台湾の方が断然近いのには驚き。顔を知る方々はほぼ本州在住のためか、人に会う機会もほぼなくなった。距離の壁、財布リソースの壁は想像以上に厚かった。ここ琉球国はほぼ全てのものが自己完結しており、外に出るのは楽ではない。良い意味も悪い意味もひっくるめて琉球国は地元指向であるように映る。
末筆ながら当サイトもつい先日、ネタはそのままに屋台骨だけ入れ替えるというとんでもない大工事があり、ezweb対応のサイトながら脱HDMLを果たす。これもある意味どんでん返しといえるのだがこのサイトの主役はあくまでネタであるので子細は省略。知らなくても死にはしない。別の形でネタにはなる見込みだが。
2002年も残すところ後僅か。来るべき次の年への期待、そして本土復帰並びに月並みながら読者諸氏のご多幸を願いつつ、以上を以て本年の書き納めとしたい。
・・・・っと思っていたが時間の経つのは至って適当なものであるらしく、明日も明日でイベントが用意されている。帰省だ。流石に昨年の様な双六擬きにはならない見込みと願いたいが、今回も今回でそこそこのネタにはなるかもしれぬ。これも琉球国と周囲の位置関係の為せる業なのだろうか。