太古からの帰還

2001年の正月、そいつは年賀状と共にやってきた。
封筒が、ごていねいにもう1枚の透明な封筒の中に入っている。
「ポストカプセル?」
そういえば15年ほど前にそんなの出してたわ、筑波万博のときに。確か、クッキーのレシピを入れておいたはずだが、いかんせん鉛筆書きだったから15年たった今でも読みとり可能だろうか?
ということで早速開封。保存状態がよかったのか、鉛筆書きの字は読めるっぽい。例のクッキーのレシピはばっちり入っていた。元になっていた本は、親戚筋へお下がりに出したときに落書き帳に化けてるのでこれを見て作るしかないが、実家にはひとまず天火(注)もオーブンレンジもあるんで、その気になれば作れないこともない。あとは材料とまとまった時間やな。


もう1枚入っていた。なにやら部屋の間取り図らしいのだが、富山の「あばら屋」とは全く違うッぽい。やけに子供部屋がでかい。
翌々読むと、21世紀にはさすがにあばら屋は建て替えられているだろうということでこんな風なおうちになっているといいな~ということで書いたものらしい。どうりで子供部屋がでかいわけだ(^_^)。だが、新しい建物は建ったもののそれはクレーンのついた米蔵であり、あばら屋のほうは床を張り替えた他は当時のままだ。そうしているうちに、この館も建ってしまった。3年少々の内に、かなり大きくなってしまったなぁ。
そうしてしばしの懐かしさに浸り、次に開封するときまで・・・と再び封印。次に開けるのはいつになるだろう?
そういえば、当時は切手が60円の時代だったのだが今は80円。配達の際に差額は取られたのだろうか? それとも投函した際の値段が適用される??
正月はやっぱり例年のごとく帳簿付けに明け暮れ、住所録作り(ついにあばら屋にもパソコンが入るらしく、来年分の年賀状から宛名は打ち出しとなるらしい)も加わって結局休む暇なし。
いつも通りの(しかしこの形は今年で最後になる?)冬休みを過ごした後、列車に揺られて信州善光寺平へ戻る。
・・・と、そこには新聞紙の壁ができていた。暮れに電話して正月の間は新聞止めたはずなのだが・・・? アパートを空けていたのは1週間くらいだったのだが、5部に分かれた正月特別版もあったので、新聞の量だけでは2週間分にはなるだろうか。その新聞のかさを眺めているとなんだかかなり長い間、軽く1ヶ月くらいは家を空けていたような気がしてきた。
実家へ出かける前日(12/29)、今日の分が新聞が来ていなかったので届けてもらうついでに、正月の間配達を止める連絡もしておこうと電話をしておいたはずなのだが、帰省したあと(12/31以降)もまじめに配達されてしまっていて、結局1週間分がまるごとたまっていたのだった。まあ、数日止めようが止めまいが、1ヶ月分きっちり引き落とされているので、来たら来たでまあいいか。
大学に入って以来盆と正月はまじめに帰省していたもんだから、正月の特別版(長野県版)はいままで1度も見たことがない。休憩も兼ねてゆっくり読んでいた。
こうしてのんびりした休日を過ごせるのも、あとどれくらいになるだろう?
注:天火
ガスコンロの上にのせるタイプのオーブンである。ガスコンロの熱を中へ吹き込ませて中を温めるしかけになっていて、火加減はガスコンロの方で行う。実家ではこいつを使ってよくお菓子を作っていたが、オーブンレンジが普及した現在、天火って売っているのかな?
Rec:2001-01-15/Mix:2000-02-04