1999年総まとめ(Part1)-街の出来事編・上半期-

今年も残すところ10日少々になった。これで今年の書き納め・・・・となるわけではないのだが、「つれづれメモ」から今年あった出来事のうち、この「乱筆御免」のバックナンバーで扱っていなさそうなことを中心に引っ張ってみた。
『ジャイアント馬場死去』
1月30日、「世界の馬場」昇天。リングにあがっているときよりも、どっちかというとCMや、クイズなどの番組に出ていたときのほうが印象に残っているのだが(特に逸見政孝氏と一緒に出ているときなんぞ)、時たま写っていた試合っぷりもどことなくほんわかとして楽しい。


60というと、ずいぶん年寄りだなぁと思っていたが、年の取り方によっては全然問題なく活躍できるという1つの反例を見たような気もする。還暦記念試合のG馬場は、チョップを何発食らってもびくともしなかった。
逆に、G馬場のチョップは端からみると軽く振り下ろしているようにも見えるのだが、その実かなり聞いているらしい???
『ジャンボ鶴田引退』
G馬場の死去から1ヶ月もたたないうちに、こんどはこのニュース。まだ小さかった頃に親父とTVを見ていたが、つよいね~この人。繰り出す豪快の一言に尽きる。
ここ数年はレスラーを続けながら大学院に行ったり、運動生理学の研究をしていたとか。そういや、一時筑波大で教員になったという話が私の回りでも話題に上ったことがある。「2足の草鞋を履く」という言葉もあるが、このお方の草鞋はただのわらじぢゃぁない。たぶん。
現在米ポートランドの大学で教授になっているが、渡米前の会見で出た「人生はチャレンジだ」という一言。くさい言葉ではあるが、しっかりと刻まれてます。
オリンピック招致関連疑惑
長野が長野でなくなった日から丁度1年がすぎた頃、長野の次にオリンピックが開かれるソルトレークでオリンピック招致にまつわる疑惑が浮上。すぐさまIOCはもちろんのこと長野にも飛び火。えらいさわぎになっておる。
今でもそのころに出たオリンピック関連の「暴露本」が店先にたくさん並んでいたりする。賄賂がどうのこうの、視察・帳簿などなど、ネタは今でも尽きない。
今はIOCの内部改革がメインのニュースになっているが、当時はすさまじかった。どこぞの政党だとか、団体なんぞがスピーカーのボリューム全開(?)で街を練り歩いていた。当時の住まいは駅から結構離れていたが、駅前にいると思われる街宣車からとおぼしき声が時たま聞こえてきた。記念式典でも、お祝いムードのなかに時折ブーイングも。しかもスピーチの真っ最中にである。
現在シドニーの次の次の開催地の招致合戦が行われているが、この教訓は果たして生かされるのか?大阪は?北京は?
『ここでもかチェーンメール』
チェーンメールってぇのは昔からあったが、今年あたりからネットはもちろんのこと携帯のほうにも蔓延しだした。TV番組の名を騙った物も現れ、結構大規模になっている。今年もいくつか届いたが、けっこう転送(100人以上?)されているらしく、勝手にあきれている。
「インターネットのゴミ箱」というサイトでは、先ほどのTVの名前を騙った物の他、芸能人の携帯番号だとか、御存知不幸・幸福の手紙などなど、思いつくだけの種類のチェーンメールを拝むことができる。果たして、来年はどんなタイプのチェーンメールが現れるか?楽しみです・・・・ってをひ!!!
そういえば、携帯の方にもチェーンメール(最近はクリスマスメールが多いねぇ)の他にも「メル友しよ~」といった類のメールがよく来るようになってきている。いい加減この類のメールには食傷気味なので、今日このあと電話取り替えてきま~す。
『携帯電話会社再編開始』
今年の春、関東甲信越&東海限定ながらちょっとした論議(らしいもの)を呼んだCMがあった。ちょい前までDoCoMoのCMに出ていたはずの織田裕二氏がライバル会社のIDOのCMに出ているではないか。
この年は携帯電話にまつわる大きなニュースが連続した。i-modeの登場だとか、J-PHONEの「紀香効果」をはじめとしてCMが話題を呼んだcdmaOne(場所によっては「刑事プリ夫」様登場というところもあったとか)が出たりだとか。
しかしそのなかでもひときわ大きかったのがツーカーから親会社の日産が全面撤退したというニュース。関東・東海・関西以外の地域をカバーするデジタルツーカーが一斉にJ-PHONEになったことで、早くしないと使えなくなる・・・と早とちりしてあわてて解約&乗り換えに走った人もたぶんいることだろう。
しかし今考えればこの出来事も単なる前ふりだったのかも・・・・。
雪が降りそうなので、この辺で電話取りにいってきま~す(^_^;; つづきはこの後あとに。
Rec/Mix:1999-12-18