住所遍歴(Part1:信州編)

私は生まれは富山らしいが、その直後に親父殿の転勤で大阪の枚方(半分京都という話もある)に引っ越した。香里ヶ丘というところにある某社社宅に住んでいたらしい。最寄り駅は京阪本線の「枚方公園」「光善寺」だが、あんまり電車が止まらないらしく、当時親父殿は少し歩いて「香里園」駅まで行っていたとかいないとか。
休日にはよく大阪市内や万博公園などへ一家でお出かけにしたが、そこで度々迷子になる。しかし抜群の(?)帰巣本能のみで保育所にはいる頃に富山の土を踏むまでの幼年期を生き延びた。


その後高校を出るまで富山で過ごし(「生家はあばら屋」・「学歴」参照)、現在は信濃の国、善光寺平に住まいを置いている。長野県長野市ともいうらしい。善光寺平に来る前に1年ほど安曇野(長野県松本市とも言うらしい)で過ごしていた時期もある。
安曇野では、一見廃墟とも見間違えかねない学生寮にいた。300人を越える大所帯で、一応男子棟と女子棟の区別はあったが、4月の中頃から順次境目がぼやけ、翌年4月の「追い出しコンパ」の際には、男子風呂・女子風呂にて、それぞれ男女の区別なく水(お湯?)掛けをするところまでに至る。念のため申し添えて置くが、その際にはケガの無い様、着衣+完全防備で臨むことになっている。
しかし、その騒ぎようもイベントの時だけであり、普段は仲間同士連れだって飯を食いに行ったり、遊んだり、試験対策の勉強会をしたり、徹夜で飲み明かし・語り明かしなどをしていた。
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[YGテストなる心理分析テストにて合成されたFujiP!の「心の顔」。大学時代のもの。]
そして善光寺平に来てからは、住まいを某バス停下車0分の、昼夜を問わず救急車のサイレンがけたたましい所に移したが、99年4月には追い出された。住めるのは、大学4年生までだったりするためだ(ここでの生活も、安曇野の某学生寮にいた頃と大差ない。男子のみの寮であったことを除けば)。
というわけで、現在は駅から自転車で5分の所にあるこぢんまりとしたアパートに移住した。階段を人が通る度に「地震」が起こる。しかし日当たり・風通しが格段とよいのでまあよしとしておこう。
近くには、県民文化会館、フルネットセンター(長野市のネットワークセンターらしい)、TV局などの文化(?)施設の他、オリンピックの際に使われた施設がある。最も近くにあるのは、アイスホッケー競技が行われた「ビッグハット」(そういや、TBSの建物も同じなまえだ)。IBC(国際放送センター)もあったが、取り壊されて今は更地。非常にただっ広い。
ちょいとサイクリングに出ると、かつてオリンピック会場の会場となった施設の大半を廻ることができる。例えば・・・
・フィギュアスケート会場の「ホワイトリング」
・開閉会式が行われた「南長野運動公園」のスタジアム
・表彰式会場の「セントラルスクエア」
・スピードスケート会場の「エムウェーブ」
・もう一つのアイスホッケー会場「アクアウイング」
・選手村
などなど。このうち、当時のまま使われているのは「エムウェーブ」だけで、他は適当に改修されて生まれ変わっている。
現在のところ、
・選手村は団地に
・フィギュアスケート会場の「ホワイトリング」は体育館に
・開閉会式の「南長野運動公園」のスタジアムは野球場に
・アイスホッケー会場の「アクアウイング」「ビッグハット」はそれぞれ開閉式屋根のついたプール、およびイベント展示場(たまにスケートリンクになることも)に
・そして表彰式会場の「セントラルスクエア」はなんと駐車場に
生まれ変わっている。そこで見かねた地元の人たちが「セントラルスクエア」で折を見てイベントを行うようになったとか。さきほどの元スケート会場「エムウェーブ」も、シーズンオフにはイベント会場として使われている。
現在の住まいは、こんな所にあるのだが、はたして21世紀初頭には何処へ移り住むのだろうか?(Part2へ続く)
Rec:1999-5-31/Re-Mix:2001-9-2(追記)