形見

「親孝行 したいときには 親はなし」
親孝行をしようと思った時にはすでに親はこの世にはいないから、普段から親孝行をするように心がけよう、という意味の言葉らしい。
「親を大切にしろ」といった類の言葉がうざったく思われた時期もあったが、いまはそうでもない。
「ご先祖様」を意識するようになったきっかけは、一つの事故である。
とある夏のこと、サークルの合宿で長野から伊豆へ車で出かけたのだが、高速道路で私の乗った車(先輩が運転してた)があろう事かスピンして側壁に衝突。辛うじて脱出できたものの、先輩が大枚はたいて買ったばかりの新車はおしゃかとなってしまった。


当時の出来事は不思議なくらいよく覚えていて、車のスピンのパターンがかのダイアナ妃の事故のものとほぼ同じだったこと、直接の原因はもう一人の同乗者が突如出した大声であること、事故の起こったおおまかな位置などの他、車で事故った事のある友人が「まわりが白黒のスローモーションに見えた」と言っていたことをよぉく体感できた(苦笑)。
事故った車には幸運にも運転席・助手席両方にエアバッグが完全装備してあった。もちろん事故った時にはしっかり発動したのだが、エアバッグから出た煙(注)で私は何をあわてたか、車が止まると同時に「早く外へ出ぇい!」。
車が止まったところが路肩だったことと、交通量がさほど多くなかったため、すぐに安全なところへ退避できたのだが、まわりの状況を確認しないまま車外へ出るのはとっても危険なことだったそうだ(冷汗)。
脱出直後、乗っていた車は後続のトラックにものの見事に吹っ飛ばされ、鉄くずと化した。
いずれにしろ期せずして、2人の命を救ってしまった。「けがの功名」とは、そんなものらしい。積んでいた荷物も、ほとんど無事だった。中身の点検でカバンを開けて真っ先に目に入ったのが2年前になくなったじいちゃんの形見の数珠だった。
「じいちゃんが守ってくれたのか・・・」そのときそう直感した。関係者の話では、そのまま車の中にとどまっていた場合まず生きてはいまい、という話である。まさに九死一生。
そのことがあって以来だろうか、「ご先祖様」を意識するようになったのは。以後現在に至るまで、カバンには必ず形見の数珠が入っている。そして実家に帰省したときには一度は必ず仏壇に手を合わせていくようにしている。
(注)車のエアバッグには大まかには2種類あって、電子センサーで衝突を検知して炭酸ガスでバッグを膨らませるタイプと、金属のボールの動きで衝突を検知して火薬で膨らませるタイプがある。前者は高級車に、後者は普通の車に多い。
Rec:1998-3-9/Mix:1998-3-16