胃袋を預る者

暑かった夏のとある日のこと。一台の車が学校へすべりこむ。車の中にはお弁当。それを食べるのは教育実習生たち。
今夏、縁あって私は長野の実習生のお昼のお弁当作りとその配達を手伝わせてもらえることとなった。パートのお姉さんたちや、食堂の池田チーフと一緒に盛りつけをやっていたのだが、そんなときにふと実習中(のはず)の知り合いたちの顔が浮かんでくる。(まてよ、長野で実習してんのは誰とだれなんやろう?)
弁当にはよく、愛情がこもっているなどと言われる。手作りの弁当にはそれぞれに店で売っている弁当にはない「味なもの」があるのだが、それはお弁当にこめてある愛情が形を変えて現れたものなのだろうか? ホカホカでもなさそうなのに、何故か温かさを感じる。不思議だ。


お弁当を盛りつけている時、何故かはりきってしまう。疲れなどどこへやら。お弁当作りが楽しいのだ。
高校時代、私のオフクロは毎朝のように早起きしてせっせと弁当をつくってくれた。これがまたおいしかったのだが、当時のオフクロも楽しんで作っていたんだろうか?
「温かい弁当」に不思議な力を私は感じる。手作りのものはもちろんなのだが、御存知横川駅の「峠の釜めし」にもそんな力を感じるのだ。
仕事や旅行で何度か「峠越え(ここでは、信越線の横川-軽井沢間を通る列車にのることを指す)」をしたことがあったが、行きか帰りのどちらかで必ず「峠の釜めし」を買って食べていた記憶がある。
ふつう、駅弁の類はさめているものが多いが(さめていてもおいしいも のはもちろんある)、「峠の釜めし」はいつ食べた時でも温かかった。横川駅のホームの売り場にある釜めしには、冷めないようにと保温シートがかけているのだ。
聞く所によると、この釜めしが売り出されるきっかけとなったのが、とある乗客の「冷たい駅弁にはもううんざり」というひと声だったそうだ。そこで店の当主は釜めしをあたたかいままで売り出そうと思い立ったという。駅のすぐそばで峠の釜めしをつくっているのも、さきほどのように保温シートをかけているのも、そのためである。
しかし、温かいと感じたのはそれだけではない。駅のホームで手際よく釜めしを売っている販売員のみなさんは、列車が走り出す時に必ずおじぎをする。しかも深々と。あれはマニュアルなんかに定められたものなんかじゃあないと思う。「お客様は神様です」という某演歌歌手の名言に通じるものがありそうだ。
なんとも感慨深い光景である。
「峠の釜めし」は、ドライブインや、上信越自動車道のサービスエリア(長野方面のみ)でも温かい状態で買うことができる。
しかし、駅のホームで買い、列車の中で食べるそのとき、何か特別なものを感じる。ただの考えすぎなのか? はたまた作り手の愛情が現れたものなのか? おいしいことは確かだ。特に中にはいっているトリ肉がいい。
ほんとうにいいものは、時間や空間をねじ曲げてでも生き残るのではなかろうか? そんなふうに思うことが多くなった。
「峠の釜めし」は、この度開業する新幹線の車内でも販売されることになっている。信越線の横川-軽井沢間は9月末で廃止となるが、釜めしはいつまでも生き残っていてほしい。
でも・・・・、サイフまでねじ曲がるのは・・・・困るなぁ(苦笑)。
Rec:1997-9-16 Mix:1997-10-1